Toyomachinean homesick blues-14
去年の暮れから、ボクが暮らし育った町にある桜井家の事情が色々とあって、ずい分と久しぶりにその土地をわがもの顔で歩き回っているけれども、もうほとんど知った顔の人が暮らしていないその町で、昔っからの古い面をした知り合いと出くわすと彼はボクに
「よお、久しぶりだが、もうここはお前さんが知っている場所じゃないんだ。俺たちの息のかかった店に出入りするんじゃねえぞ」
と言う。ボクはとっさにはその意味が分からなかったけれど、半世紀前にボクが電信柱にかけていたションベンの匂いはとっくに雨風に洗い流されて、今の電信柱にはお上品でファブリーズみたいななションベンが縄張りを気張っているようだから
「そうかい。それには逆らわないよ」
と言って退散する。その町では、路上喫煙も立ちションベンも今では軽犯罪になるらしいし、表向きの大義名分に右往左往するつもりは毛頭ない。何より、元々よそ者でもないボクを排斥して平気な顔をしていられる今そこに暮らすその人たちの心もちをボクは理解出来ないから、その人たちがいくら昔からのその土地の神社の文化とか習わしを、まるで我が先祖から伝わる何幾学かの言い伝えだとか言い張るなら
「ボクは出ていきます。すみませんでした」
と言って出ていく。それで一向構わない。
それで、人類が永遠に繰り返す戦争、紛争であるけれど、今のウクライナ、そうして台湾を巡る攻防ではそういう簡単なことでは済まないので、国際的な緊張が高まっている。ボクが幼年から少年期を過ごした京浜地区では、路地裏で刃物を目撃することはあったけれど、ミサイルも核兵器も見たことはない。なにせ今に至るまで、そういうとんでもない軍事機密な兵器を肉眼で見た人というのは、人類何十億人の内の何人かだとはおもうけれど、そういう何人かの人が、ボクたちが恐怖した路地裏のカツアゲに用いられた刃物と同じようにミサイルや核兵器をチラすかせて
「よお、ただでは済まないぜ」
などと言って凄むというのは、何て品のない世界なんだろうとおもうけれど、それはボクたちの身近にいつもある恐怖と同じで、ボクは単純に
「腹を割って、話し合えば、分かり合えることだったりするのに」
とおもう。
ボクは、ボクにこの町から出ていけと言った友人に文句はない。
ただ
「お前の邪魔は決してしないから、お側に置いてほしいのよ」
という
「女の操」
の心境だ。
ロシアもアメリカも、どこそこの国も、そんな厳かな声明は発表しないだろうなあ。
「イマジン」
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