Boogie cafe-96
ラーメン屋で、ラーメンを頼まずちょっとした肴で酒ばかり飲み続ける、ということについて考えてみる。
これには、店側がそれを許してくれる場合と、そうではない場合のふたつに分類できそうだ。
まず前者の方の例として、ボクが友人とよく出かける大井町の永楽は、酒飲みを許してくれる。しかしそこには店側と客側に微妙なバランス感覚が存在していて、そこを踏み外すと出入り禁止にもなりかねない不文律がある。その許容範囲は大井町で昭和三十一年から商いをしている店の人たちのことだからずいぶん大らかだけれど、酔っ払って他のお客に不愉快なことを始めたらもちろん黙ってはいない。永楽暦四十数年を数えるボクはその中で、つまみ出されていった客を何人も見ている。だからつまり、本来は酒場ではないそういう店で、昼下がりの暖かい陽射しが漏れる二階の窓際の席でもって
「ビール一、お新香一、餃子二」
と、昔っから同じ姿だみ声でボクたちの相手をしてくれるお母さんに伝えて始めたとする。その内に
「お酒を下さい」
「熱燗かい」
「いえ、常温で結構です」
とか言いながら本式に酒盛りが始まっていく訳であるけれど、店側に、ボクたちが最後にはラーメンを食べて行儀良く勘定をして出て行く客だということが何となく分かってもらえていれば、この二階席の陽溜りの酒盛りは成立する。しかし大前提として、そこで酒盛りを始めた客側が、最後にはラーメンを頼んでそれを一滴たりとも残さずすすり
「今日も美味しかったです。ごちそうさまでした、また来ます」
と言って帰る覚悟もまた必要なのである。そういう客だと店側も分かってくれているから、店からつまみ出されることもなく、ラーメンをいただいて店を出るまでのその至福のときをゼイタクに味わうことが出来るのである。
さてこれは、まがりなりにも店側と客側にそれなりの歴史、というものがあった場合の例ということで、同じようなマネを一見の店で行ってもなかなか通用はしない。
その店は、四谷で四十数年商いをしている名店である。支那そばが売りの店で、平日の昼時には行列が出来るという店である。そういう時間帯にその店に行って、同じようなマネをしようとはさすがにおもわない。そこで、ゴールデン・ウイークの昼下がり、その店に行ってラーメンを頼まずに酒ばかり飲む、というマネをしてみようと出かけた。同行者はコンピュータ・プログラマで友人のYさんである。
新宿通りを西に向かって歩きながら、ボクはYさんに言った。
「二十九年前に、コタンのオーディションを受けて合格したときに」
「ああ、もうそんなになるんですね」
「そのときに、嬉しくて、一人祝杯を上げに入った店がそこなんですよ」
「そうだったんですか」
「ボクが四谷で入った最初の飲食店ですね。ビールを頼んで、それだけで出てくるのも何なので、その店の看板メニューらしい支那そばをいただきましてね」
「そういう縁があった割には、その後の桜井さんの四谷での行動範囲の中に、その店はまったく登場していませんよね、ピヤシリのように。何故ですか」
「うーん、何でですかねえ。つまり、行列が出来るラーメン屋でね。それだけでお腹一杯になっちゃうんですよね」
「ウダウダと酒など飲んでいられないというような」
「ともかく、有名店な訳ですね。次から次へと色んな地方からお客がやって来る訳です。おっ。ここだここだ、みたいにね」
「それは落ち着かないですねえ」
そういう店に、Yさんとボクが行ってみようとおもったのは、まあゴールデン・ウイークで店も空いているだろうし、そのラーメン店の酒場レベルを、面白半分に探ってやろうというイタズラ心からでもある。
幸い、店は開いていて、広いホールのような店内に客はほとんどいない。
BGMに流れているのは、何とレス・ポールとメリー・フォード、1950年代前半のあの名曲である。
「何ていうタイトルでしたっけね」
「ボクたちのお父ちゃんたちが、有楽町のガード下をウロウロしていたころの曲ですからね。タイトルは分かりません」
「生ビールを下さい」
そう言うと、年配のポイさんがそのことを厨房に伝えた。まだ学校を出たばかりくらいの男の子が伝票を持ってボクたちのテーブルの前に立ち、ここはラーメン屋だから何か頼めという、とても仕事熱心な姿勢を表してくれているが、その年配のポイさんがその男の子を制しているのが可笑しかった。
「良いんだよ、このお客さんたちは」
それでボクとYさんは、老ポイさんにお酒と肉ヤサイ炒めを頼んだ。そうすると、また若い男の子が伝票にペンを持って、ボクたちのテーブルの脇に立つのだ。
「悪いな。その内に頼むからな。今、考慮しているところなのだよ。何か頼むからね」
その内に店のおカミさんまで出て来てボクたちに
「皿ワンタンを食べたあと、〆に支那そばっていうのはいかがですか」
と言う。
それは良いとおもうけれど、少し放っておいてもらいたいとおもいながら、ラーメン屋に入っておいて、酒ばかり飲んで、ラーメンを頼まない客であるボクたちが悪いのか、そういう客にラーメンを強要しようとする店のどちらがいけないのか分からないけれど、まあ仕事熱心な男の子には最後に
「支那そばを下さい」
と注文をして
「今日は悪かったな。ご苦労さん」
と言ったら、何となく安心した顔をしていた。
インスタント・ブギー・カフェ・バンド
「きみがいない」
written by 桜井 雄作
https://www.youtube.com/watch?v=5mSvmgqTSKg
これには、店側がそれを許してくれる場合と、そうではない場合のふたつに分類できそうだ。
まず前者の方の例として、ボクが友人とよく出かける大井町の永楽は、酒飲みを許してくれる。しかしそこには店側と客側に微妙なバランス感覚が存在していて、そこを踏み外すと出入り禁止にもなりかねない不文律がある。その許容範囲は大井町で昭和三十一年から商いをしている店の人たちのことだからずいぶん大らかだけれど、酔っ払って他のお客に不愉快なことを始めたらもちろん黙ってはいない。永楽暦四十数年を数えるボクはその中で、つまみ出されていった客を何人も見ている。だからつまり、本来は酒場ではないそういう店で、昼下がりの暖かい陽射しが漏れる二階の窓際の席でもって
「ビール一、お新香一、餃子二」
と、昔っから同じ姿だみ声でボクたちの相手をしてくれるお母さんに伝えて始めたとする。その内に
「お酒を下さい」
「熱燗かい」
「いえ、常温で結構です」
とか言いながら本式に酒盛りが始まっていく訳であるけれど、店側に、ボクたちが最後にはラーメンを食べて行儀良く勘定をして出て行く客だということが何となく分かってもらえていれば、この二階席の陽溜りの酒盛りは成立する。しかし大前提として、そこで酒盛りを始めた客側が、最後にはラーメンを頼んでそれを一滴たりとも残さずすすり
「今日も美味しかったです。ごちそうさまでした、また来ます」
と言って帰る覚悟もまた必要なのである。そういう客だと店側も分かってくれているから、店からつまみ出されることもなく、ラーメンをいただいて店を出るまでのその至福のときをゼイタクに味わうことが出来るのである。
さてこれは、まがりなりにも店側と客側にそれなりの歴史、というものがあった場合の例ということで、同じようなマネを一見の店で行ってもなかなか通用はしない。
その店は、四谷で四十数年商いをしている名店である。支那そばが売りの店で、平日の昼時には行列が出来るという店である。そういう時間帯にその店に行って、同じようなマネをしようとはさすがにおもわない。そこで、ゴールデン・ウイークの昼下がり、その店に行ってラーメンを頼まずに酒ばかり飲む、というマネをしてみようと出かけた。同行者はコンピュータ・プログラマで友人のYさんである。
新宿通りを西に向かって歩きながら、ボクはYさんに言った。
「二十九年前に、コタンのオーディションを受けて合格したときに」
「ああ、もうそんなになるんですね」
「そのときに、嬉しくて、一人祝杯を上げに入った店がそこなんですよ」
「そうだったんですか」
「ボクが四谷で入った最初の飲食店ですね。ビールを頼んで、それだけで出てくるのも何なので、その店の看板メニューらしい支那そばをいただきましてね」
「そういう縁があった割には、その後の桜井さんの四谷での行動範囲の中に、その店はまったく登場していませんよね、ピヤシリのように。何故ですか」
「うーん、何でですかねえ。つまり、行列が出来るラーメン屋でね。それだけでお腹一杯になっちゃうんですよね」
「ウダウダと酒など飲んでいられないというような」
「ともかく、有名店な訳ですね。次から次へと色んな地方からお客がやって来る訳です。おっ。ここだここだ、みたいにね」
「それは落ち着かないですねえ」
そういう店に、Yさんとボクが行ってみようとおもったのは、まあゴールデン・ウイークで店も空いているだろうし、そのラーメン店の酒場レベルを、面白半分に探ってやろうというイタズラ心からでもある。
幸い、店は開いていて、広いホールのような店内に客はほとんどいない。
BGMに流れているのは、何とレス・ポールとメリー・フォード、1950年代前半のあの名曲である。
「何ていうタイトルでしたっけね」
「ボクたちのお父ちゃんたちが、有楽町のガード下をウロウロしていたころの曲ですからね。タイトルは分かりません」
「生ビールを下さい」
そう言うと、年配のポイさんがそのことを厨房に伝えた。まだ学校を出たばかりくらいの男の子が伝票を持ってボクたちのテーブルの前に立ち、ここはラーメン屋だから何か頼めという、とても仕事熱心な姿勢を表してくれているが、その年配のポイさんがその男の子を制しているのが可笑しかった。
「良いんだよ、このお客さんたちは」
それでボクとYさんは、老ポイさんにお酒と肉ヤサイ炒めを頼んだ。そうすると、また若い男の子が伝票にペンを持って、ボクたちのテーブルの脇に立つのだ。
「悪いな。その内に頼むからな。今、考慮しているところなのだよ。何か頼むからね」
その内に店のおカミさんまで出て来てボクたちに
「皿ワンタンを食べたあと、〆に支那そばっていうのはいかがですか」
と言う。
それは良いとおもうけれど、少し放っておいてもらいたいとおもいながら、ラーメン屋に入っておいて、酒ばかり飲んで、ラーメンを頼まない客であるボクたちが悪いのか、そういう客にラーメンを強要しようとする店のどちらがいけないのか分からないけれど、まあ仕事熱心な男の子には最後に
「支那そばを下さい」
と注文をして
「今日は悪かったな。ご苦労さん」
と言ったら、何となく安心した顔をしていた。
インスタント・ブギー・カフェ・バンド
「きみがいない」
written by 桜井 雄作
https://www.youtube.com/watch?v=5mSvmgqTSKg
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