Walking on the street-273

クリスマスである。雨は夜更けすぎに、雪にかわったりしなかったが、ともかくクリスマスである。それにしても雨のあとの雪というのも翌朝の通勤道中のことを考えるとどうかなと、毎年この時期にラジオから聴こえてくる名曲を耳にしながら余計な心配をしてしまうが、ともかくクリスマスだ。

明治生まれの、もういないボクの祖父母たちの時代にはクリスマスはなかっただろう。信州の西南の村で、その年の農作業の後片づけをしながら、新年の準備をしていたに違いない。その村にサンタクロースが来ることはなく、だけど新しい年がやって来る、何とはない高揚に包まれて、大晦日までどんな風に過ごしていたのか考えてみると興味深い。のちにその祖父母の孫としてこの世に生を受けたボクにその二人は
「いつか甲子園に出るような野球選手になって欲しい」
などという無責任な期待を寄せていたという話しを親類の方々からきいたことがあるが、その時分には信州の片田舎にもテレビはあって、初孫のボクが夏冬とその田舎に出かけて行ったときにそんなことを夢想していたのだとおもう。ボクの小四の息子は具体的に野球をしているが、ボクはその息子に野球に関して過度の期待はしない。その点、孫というのは特別なものなんだろうなあと、我が父母を見ていると分からなくはない。
ボクの母方の祖父は酒飲みだった。その祖父がテレビがなかったその時代の正月前のこの時期に、一体どんな風に毎日を過ごしていたのか考えると面白い。客があると、昼間からでも茶碗を出して酒をもてなしていたそうであるから、当然自分も飲んでいたに違いない。ボクが五歳のときに亡くなっているその祖父の生前の話しを、ボクはその田舎家でずい分きいていて、自慢ではないがとても評判の良い人物であったことは分かっている。しかし残念ながらボクはその祖父と酒を相まみれることが出来なかった。どんなじいさんだったのか、酒を飲みながら感じてみたかった。祖父もボクのことを
「野球もせんで、何を下らん音楽ばかりしておるか」
と言いたかったかも知れない。で、そこにクリスマスはなかった。


ボクは隔世遺伝というのを冗談半分なかば本気で信じている。遊び人のあとの息子は堅く、人生を生きようとする。そのどちらにも偏った考えが無意識下にあることなので簡単にはいえないが、ボクの直属の父は堅い、まっとうな人である。その父の青春時代にも、まだクリスマスはなかったはずだ。いわゆる
「クリスマスだから鶏肉を食べるのだあ」
という慣習は、たぶんボクの父親の若いころにはなかったのではないだろうか。やっぱり祖父母の時代と同じように、正月を迎える準備をこの時期していたのではないかとおもう。


ボクが小学生のころ、クリスマスの食卓に鶏肉が登場するようになったんだとおもう。骨の先を銀紙で包まれたモモ肉が、とてもゼイタクだった。母親に
「食べても良いの」
ときいたくらいだ。

ボクはあのクリスマスも含めた年末年始の雰囲気というのが嫌いではなかった。とても特別な感じがして、ワクワクしていたものだ。母親に頼まれて商店街の八百屋や肉屋に、よく使いに行った。そうするとその店のお母さんに
「偉いねえ。ほら、これあげるから気をつけて帰るんだよ」
と言われてアメをもらって、それが嬉しくて最高な気分だった。でもそれもクリスマスではない、祖父の味わっていた年末モードであったのだろうけれども、クリスマスではない。だいたい色気も何もありゃしない。ただの年末の商店街だ。


今子供たちに話すと驚かれるのが
「あのさあ、昔、正月に開いている店なんてなかったんだぜえ」
ということである。子供たちは言う。
「ウッソーッ、コンビニもない田舎に暮らしてたの」

じいちゃんと酒を飲みたかった。クリスマスとは無関係だけれど、ボクの都合に合わせてくれとは、もうじいちゃんには言えない。

クリスマスである。コンビ二なんて昔はなかったんだといくら叫んだところで、クリスマスである。あとはサンタクロースが本当にいるのかという話しであるが、いるとおもった方が素敵なら
「信じているよ」
とおもっておく方が、良いんじゃないかなあ。



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