上川ラーメン四谷ピヤシリ-41

バンドメンバーの丸ちゃんと、ピヤシリに向かっている。

本当ならもう一人のバンドメンバーのP太郎も一緒のはずだが、彼は近い人のところで不幸が出来て同行出来ない。もしかしたらこの晩、ピヤシリ近くのライヴハウス四谷コタンでのライヴにも、ボクたち雄作バンドはP太郎のベースを欠くという痛手をおって上がらなければいけないかも知れない。それは仕方のないことだと分かっているが、ボクは隣りを歩いている丸ちゃんに
「あのさあ、やっぱりP太郎がいないと、緊張するぜえ」
と言う。丸ちゃんは
「アハハ、そうかも知れませんけれどもねえ、桜井さんはお一人でずい分長いあいだコタンでやってきたのだから、Pさんからは大丈夫だろうってメールありましたよ。何しろ今日は稲野さんもいてくれるし」
と言って笑った。この日のライヴのトリは稲野真人さんで、前出のボクたち雄作バンドのステージでも一緒に演奏してくれることになっている。
稲野さんはコタンの大先輩で、ボクが言うのも何だか、ともかく凄い人だ。

今年の三月にボクたち雄作バンドは突如ワンマンライヴをやることになり、それは困ったと相談した人が稲野さんだった。稲野さんはボクたちの話しをザッときいてそれを分かってくれ
「それじゃあワンマンの二部の全曲でギターを弾かせてくれ」
と言われたからボクは
「そんな恐れ多いことは言えません。最後の五六曲で構わないのですが」
と言ったら稲野さんは
「全曲演る」
と言うからボクたちはそれではお願いしますと言った。稲野さんがそう言うのだから、それ以上言いようがない。

ピヤシリに着く。店の中はまだ空いているのでボクと丸ちゃんは右奥の板に座ってビールを注文する。
リハーサルが終わってコタンを出てくるときに稲野さんから
「おおい、酔っ払って帰ってくるなよお」
と言われてきたし、ベースのP太郎がバンドに参加出来ないということで、珍しく緊張しているから、ビールはなめる程度にしておこう、とおもっている。

「ラーメン食べるかい」
と隣りの丸ちゃんに言うと
「その前に何かおつまみいただきませんか」
と言うので
「それじゃあ好きなモノ頼んでくれよ」
とボクが言ったら丸ちゃんが
「焼き鳥」
と言うのでボクは慌てて
「おいおい、それは先月頼んでみたけど、凄いボリュームで、そのあとラーメンなんか食べられたものではないぜ」
と言うが丸ちゃんは
「大丈夫ですよ。お腹空いているし」
と言っている。そういえば先月その焼き鳥を頼んだとき、丸ちゃんは遅れてピヤシリに入ってきたから焼き鳥の全貌を見ていないのだ。だからこんなことを平気で言っているのだとおもったが、丸ちゃんの食欲を信じたのと、その焼き鳥の全貌を彼女に見せてあげたい気持ちから、ボクはピヤシリ店主に焼き鳥を頼んだ。

ビールを飲みながら今夜のライヴに対して弱気なことを言って丸ちゃんに励まされていたら、ドヤドヤという感じで常連客たちがピヤシリに入ってきた。空いていた席は瞬く間に一杯になる。
常連たちが頼むのは銘々お気に入りのアルコール飲料と酒肴である。
「この人たちはさあ、誰もこの店がラーメン屋だとはおもっていないよねえ」
と小声で丸ちゃんに言うと、丸ちゃんは嬉しそうに言った。
「そうですねえ、どなたもそういうお顔ではありませんねえ」

ボクたちの前に焼き鳥が出てきた。
「ほらどうだ」
と言うボクに丸ちゃんは
「このボリュームは確かに凄いですねえ」
と言って目を丸くした。焼き鳥のボリュームは勿論だが、キャベツの他、ポテトサラダが富士山のように盛られている。どう見たって二人前の盛りではない。しかし旨い。ボクと丸ちゃんはモモとキモをほおばってビールを飲んでいた。

そのとき、ボクたちの脇で飲んでいるご婦人がピヤシリ店主に
「今日は天ぷらないの」
ときいている。ボクは耳を疑ってそのご婦人に問い直した。
「今、何とおっしゃいました。天ぷらですか」
ご婦人は
「そう天ぷら、このあいだ食べたのよ。エビがこおんなに大きくてね。あとは野菜。美味しかったのよ」
と平然と言っている。今日はない旨店主から言われご婦人は
「まあ残念」
と本当に残念そうな顔をして言った。ボクは隣りの丸ちゃんに言った。
「天ぷらだってさ」
丸ちゃんは板の中の店主を見て言った。
「あの方なら、やるかも知れませんね」

板の向かいの客が
「この店にはさあ、ラーメンも置いてあるんだよねえ」
と叫んだ。その物言いは、知っていてわざとふざけて言っているのがすぐに分かる言い方だったが、店内にドッと笑いが起こる。
その客の隣りで焼酎を飲んでいる人がその客に
「アンタ、この店のラーメン食べたことないの」
と言ったらその客は
「この店が、ここに引っ越してくる前に食べたことあるよ。いやあ旨かったなあ」
と言うと隣りの焼酎の人が
「それはもう食べていないことと同じだよ」
と真顔で言ったのでまた店内にドッと笑い声が上がった。

ボクは隣りの丸ちゃんに
「そういえば、梅さんもカッちゃんもこの店をラーメン屋だとはおもっていないよね」
と言うと丸ちゃんは
「ラーメン食べているところ、拝見したことがありませんね」
と言ったのでピヤシリの端の席で二人でクスクス笑った。

そんな風に、しばしその晩のライヴの緊張を忘れてピヤシリの空気の中にひたっていたが、コタンで待っているであろう稲野さんから
「いつまで油売っていやがるんだ」
と言われているような気がしたので丸ちゃんに
「もう一本だけ飲んでいかないか」
と言ったら丸ちゃんが
「それだけですよ。せっかく稲野さんがご一緒して下さるのですから」
と言ってくれたので板の向こうの店主に
「最後の一本を下さあい」
と叫んだら、店主の替わりにママが
「今日は二本しか飲まなかったのねえ」
と言ってボクにビール瓶を差し出してくれた。





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