上川ラーメン四谷ピヤシリ-26

JR京浜東北線に東急大井町線がつき当たった大井町駅改札を出ると、たくさんの飲食店で構成された路地裏があり、その一角に「永楽」という中華そばの店がある。

創業昭和二十四年というその店は、当時から大変な人気を誇っていたらしい。中華そば一杯四十円だったそうで、当時その値段は他の中華そばと比べて少し高かったようだが、何しろ旨いからと大変に繁盛して今に至っている。現在の値段は安いくらいである。

ボクは大井町で生まれてその近辺で育ったので、ボクにとっての中華そばは永楽であり、それ以上でもそれ以下でもない。そして幼いころ父に連れられてよく食べに行っていたときにはまったく意識していなかったが、この年になってたまに訪れる永楽には、その時代の空気がそのまま残っていることに気づく。ああ、ボクはこの町で生まれたのだなあとおもう。
それは例えば、悪いことをすれば人の家の子供だろうが容赦なく叱りつける大人だったり、幼い子供を背おいながら洗濯物を凛として片づけているお母さんだったり、泥棒と間違えて交番に連行してしまった男にカツ丼を食べさせて詫びているおまわりさんだったり、そんな空気を、永楽に行くと吸うことが出来る。
一見ガチャガチャした店内には、そんなガラの悪さが漂っているようでいて品がある。カウンター席だろうがテーブル席だろうが、ともかく席につけば感じることが出来る。それはこの土地の昔からの気質なのかも知れない。ボクはその空気を感じるだけで嬉しくなってしまう。

そんな訳だから、ボクは若いころから今に至るまで、親しい知り合いは永楽に引っぱっていく。そうしてその人物が
「ああ、きみが言う通り旨かったよ」
と言うと無闇に嬉しい。そのときの気持ちをボクは、自分の家を褒めてもらえたようだと勝手におもっている。

四谷のピヤシリとのつき合いは、永楽のそれに比べればはるかに短い。ただし永楽では出来ないようなマネをピヤシリでは許してもらっているので、その密度は濃い。
ボクが出演しているライヴハウス四谷コタンの傍らでピヤシリが営業を始め、コタンの店長木村さんから
「ともかく旨いラーメンを出す店がそこに出来たから行ってみろ」
と言われたので行った。そうしてそのラーメンが旨いことが分かって以来ヒイキにしている。いや、ヒイキにしているというどころではなく、ピヤシリ店主に何を言われようがその店に居座っている。それは例えば
「ライヴ前に酒を飲むのはお客さんに失礼やで」
とかで、ボクは
「いや、ボクが飲んでいるのはビールなのでこれくらいでは大丈夫です。酒を始めたらマズイですが」
と言うと店主は
「お前さん、ビールも酒類なのを知らんのか。それは立派な酒や」
と言うのでボクは店にいるママに、コソコソとビールのおかわりを頼む。ボクからすれば、ライヴ前にお腹を一杯にすることが出来ないのでピヤシリのラーメンを頼むことが出来ないが、それでもこの店にいたいのでそうやって居座っている。

単に酒が飲みたいだけであれば、今夜ボクがライヴを演らなければいけないことなどつゆ知らない店に行けば良いのであるが、ボクには他に行こうとおもう店がない。ピヤシリでなければ駄目なのだ。このことをずっと不思議におもっていたが考えを整理すると、まずボクがラーメン好き、ということが上げられることに気がついた。永楽から始まったボクのラーメン遍歴はなかなかのもので、謙虚にいっても、その了見は「中の上」くらいだとおもっている。ドンブリを見てそれはどこの店だと当てることは出来ないししたいともおもわないが、旨い店は何件か知っている。
それにしてもピヤシリのラーメンは旨いので、仮にそのラーメンを食べることの出来ないライヴ前にも、ボクはピヤシリに駆け込んでいく。
その内に小さな子供や少食の女性や酔っ払いでも食べられるようにと、ピヤシリ店主が「しょうゆっこ、味噌っこ、塩っこ」という、量の少ないラーメンの販売を始めてくれたので、それならばとそのラーメンの世話になっている。

それにしたってたくさん食べようとおもっている訳でもないのに、何故ボクはピヤシリに居座っているのか色々考えてみたら、ボクがこの店が好きなのだということに気づいた。
「ああそうか。ボクはピヤシリが好きなんだ」

ボクが生まれるずっと前からあった大井町の永楽で、ボクはピヤシリでのように振る舞おうとはおもわない。ただ中華そばを食べて店を出てくるだけである。出来れば腰を落ち着けて、ビールと餃子からゆるゆる飲みだして、酒を少し飲んでから中華そばをいただいてなんてのは、極上のゼイタクであるが、近年大変な行列を誇るその店の中で、そんなマネはボクには出来ないだろう。ただし一度はやってみたい。

ボクが出演しているライヴハウスの傍らに、世界一のラーメン屋が営業を始めたことを、ボクはとても不思議におもっている。何だってこんなに旨いラーメンの店が、こんな身近に出来たのかという訳である。しかしその店は現に、コタンの傍にあるのだから仕方がない。そうして世界一旨いラーメンを出すピヤシリにボクは駆け込んでいって
「ビールを下さい」
と言う。この店のラーメンが旨いことは、もちろん知っている。



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