Walking on the street-65
慣れ親しんだ場所も、いつかはなくなっていく。ボクはまだそれほどの年ではないが、そういう場所はボクよりも先に出来ていた訳であるから、順番でいけばそういうことになる。
先日、品川の実家に所用が出来て出かけた際、空いた時間に近所をソロソロと散歩して回った。
近所の商店街に行く。入り口にある肉屋は昔と変わらぬ風情で、店先にコロッケやらから揚げやらマカロニサラダやらを並べて、おばちゃんが威勢の良い声を上げている。
「こんにちは。今日はおチビちゃんたちは」
と声をかけてくれるので
「じいちゃんばあちゃんと遊んでます」
と返事すると
「もう大きくなったでしょうね」
と言うからボクも
「上のお姉ちゃんはもうボクと一緒に歩いてくれません」
と言ったらおばちゃんは
「アハハハ」
といって笑った。惣菜を店先で売っているその奥では、本物の肉職人が包丁をふるっている。中でも、この店で扱っている牛タンは生でも食べられるくらいに上質で旨い。ボクはそれを塩で焼いて食べるのを至福としていたが、近年の牛肉問題でそのタンは手に入らなくなってしまい、当然ボクたちも買うことは出来ない。どうしたら食べられるかきいてみたところ、タンを丸々一丁引き取ってくれるのなら仕入れてくれるという。それはいくらかときいたら二万円だそうだ。タン好きが十人ほど集まらなければ無理そうだ。いや、タンってのは以外に大きいから、あれを丸々片付けようとおもったら十人では足りないかも知れない。
そこから商店街を入ってすぐ左側にはかつて、ピンポンパンの新平さんにそっくりなおじさんが店主の、大変に人気のある八百屋があった。店の天井から三四枚のザルがぶら下がっていて、そこにお金が入っていてレジ替わりになっていた。寅さんみたいな口上で店先に立ったその新平さんは、いつ行っても同じ調子で
「ちょっとそこのきれいな奥さん。今日は大根安いのよ」
とか
「さあ、もう今日はいくらでもいいや。全部持ってっちゃって」
とかやっていたから子供心にボクは、このおじさんは凄いなあとおもっていた。
その店はとっくになくなってしまい、今ではインターネット・カフェになっている。
少し行った右側にボクたちの公立学校の制服を仕立ててくれた店があり、その主人は今でも元気に店を守っている。ボクが高校時代、その高校のガクランのズボンをその主人の店に持っていって
「先をつぼめて下さい」
と言ったら
「そういえば、最近そういうことを言う子は少なくなったなあ」
と言ったのを憶いだした。1981年のことである。
その隣りにある花屋の店主も元気に今でも店を開いているが、どういう訳だかこの店主にはしょっちゅう怒られていた記憶がある。花屋であるからそれほど用もなかったはずだがとおもって少し老けたこの店の店主の顔を見ていたら憶いだした。この店では夏になると昆虫を扱っていて、ボクは買えもしないその昆虫に何やらちょっかいを出し、怒られていたのだ。あるいはインコだったかも知れない。何をしたから怒られたのかの記憶は薄れているが、ともかくこの店の店主の凄い形相だけははっきり憶いだせる。
「弁償しろ」
くらいのことは言われていたことを憶いだしたので、余程のことだろう。悪気はなかったはずだが、その店を通り過ぎることにする。
その先の左に床屋があった。ボクは行ったことはなかった。何年か前その隣りに露骨に「1000円で十分のおしゃれ」という床屋が営業を始めた。ボクはそっちには行った。ボクの家族も行っている。
昨年のいつだったかその床屋の前を通りがかったら閉まったシャッターに
「このたび閉店することになりました。四十五年間ありがとうございました」
という張り紙がされていた。この日ボクが通りがかったその場所はさら地になっていた。
その先には、昔っからあった町のおもちゃ屋さんがあって色々おもいでがある。ともかく買えもしないのに店に入っていってプラモデルやトミカやミクロマンや超合金の人形を物色していると、背の低いこの店の主人がハタキをパタパタさせながら
「はい、邪魔だから出てくれる」
と言ってボクを追い出すのである。確かに狭い店で、ボク一人が通路に入ったら、すれ違うことは出来なかった。それでも宝の山の店の中に入っていっては、主人にハタキでパタパタとやられたものである。
ボクが小学一年生のとき、父方の祖母が品川のボクの家に来て滞在していたことがあった。ボクの父は何しろ十一人兄弟の長男であるから、その祖母からすればボクは何十人いる孫の一人にすぎない。母方の祖母には孫は三人しかおらず、男の子はボクだけだったのでボクは溺愛されていた。だから母方の祖母には当時千円単位のおもちゃを会うたびに買ってもらっていた。そんな風に甘えても良い相手だった。
その父方の祖母が
「何でも買ってあげるから」
と言ってボクと一緒に出かけたのが、このハタキパタパタのおもちゃ屋だった。
ハタキパタパタの主人も、祖母と一緒にやって来たボクは歓迎のようで、ボクがおもちゃを物色していても何も文句は言わなかった。そうしてボクが選んだおもちゃは「帰ってきたウルトラマン」の人形だった。たぶん当時で五百円くらいだったとおもう。
「そんなモノで良いのかい」
祖母は言った。
「これ、前から欲しかったんだ」
ボクがそう言うと、店の主人は
「もっと高いモノをねだれよなあ」
とおもっていたのかも知れないと、今その店の前に立っておもうが、ボクは確かにそれが欲しかったのだ。そうしてボクは祖母と一緒に、ウルトラマンの腕を前に伸ばしてそのウルトラマンを空に飛ばしながら意気揚々と家に帰った。
ボクが父方の祖母から買ってもらった物は、唯一これだけかも知れない。
そのおもちゃ屋もさら地になり、今はセブンイレブンになっている。
商店街を抜けると、東急池上線が走っている。昔は踏み切りがあって地上を走っていたが、今は地下を走っているので、踏み切りがここにあったことを知っている人は少ないかも知れない。
商店街を抜けて左に行ったところにオープン・カフェがある。この店はここ十年くらいの店であるので、ボクよりは新しい。ボクはその店が好きで、実家に行ったときには行くようにしている。そうして
「アサヒ」
と頼むとスーパー・ドライが出てくる。それを飲みながら、色々あったよなあ。そうしてこれからも色々あるんだろうなあ、とおもいながら、懐かしく、また変わってしまった風景を眺めているのである。
先日、品川の実家に所用が出来て出かけた際、空いた時間に近所をソロソロと散歩して回った。
近所の商店街に行く。入り口にある肉屋は昔と変わらぬ風情で、店先にコロッケやらから揚げやらマカロニサラダやらを並べて、おばちゃんが威勢の良い声を上げている。
「こんにちは。今日はおチビちゃんたちは」
と声をかけてくれるので
「じいちゃんばあちゃんと遊んでます」
と返事すると
「もう大きくなったでしょうね」
と言うからボクも
「上のお姉ちゃんはもうボクと一緒に歩いてくれません」
と言ったらおばちゃんは
「アハハハ」
といって笑った。惣菜を店先で売っているその奥では、本物の肉職人が包丁をふるっている。中でも、この店で扱っている牛タンは生でも食べられるくらいに上質で旨い。ボクはそれを塩で焼いて食べるのを至福としていたが、近年の牛肉問題でそのタンは手に入らなくなってしまい、当然ボクたちも買うことは出来ない。どうしたら食べられるかきいてみたところ、タンを丸々一丁引き取ってくれるのなら仕入れてくれるという。それはいくらかときいたら二万円だそうだ。タン好きが十人ほど集まらなければ無理そうだ。いや、タンってのは以外に大きいから、あれを丸々片付けようとおもったら十人では足りないかも知れない。
そこから商店街を入ってすぐ左側にはかつて、ピンポンパンの新平さんにそっくりなおじさんが店主の、大変に人気のある八百屋があった。店の天井から三四枚のザルがぶら下がっていて、そこにお金が入っていてレジ替わりになっていた。寅さんみたいな口上で店先に立ったその新平さんは、いつ行っても同じ調子で
「ちょっとそこのきれいな奥さん。今日は大根安いのよ」
とか
「さあ、もう今日はいくらでもいいや。全部持ってっちゃって」
とかやっていたから子供心にボクは、このおじさんは凄いなあとおもっていた。
その店はとっくになくなってしまい、今ではインターネット・カフェになっている。
少し行った右側にボクたちの公立学校の制服を仕立ててくれた店があり、その主人は今でも元気に店を守っている。ボクが高校時代、その高校のガクランのズボンをその主人の店に持っていって
「先をつぼめて下さい」
と言ったら
「そういえば、最近そういうことを言う子は少なくなったなあ」
と言ったのを憶いだした。1981年のことである。
その隣りにある花屋の店主も元気に今でも店を開いているが、どういう訳だかこの店主にはしょっちゅう怒られていた記憶がある。花屋であるからそれほど用もなかったはずだがとおもって少し老けたこの店の店主の顔を見ていたら憶いだした。この店では夏になると昆虫を扱っていて、ボクは買えもしないその昆虫に何やらちょっかいを出し、怒られていたのだ。あるいはインコだったかも知れない。何をしたから怒られたのかの記憶は薄れているが、ともかくこの店の店主の凄い形相だけははっきり憶いだせる。
「弁償しろ」
くらいのことは言われていたことを憶いだしたので、余程のことだろう。悪気はなかったはずだが、その店を通り過ぎることにする。
その先の左に床屋があった。ボクは行ったことはなかった。何年か前その隣りに露骨に「1000円で十分のおしゃれ」という床屋が営業を始めた。ボクはそっちには行った。ボクの家族も行っている。
昨年のいつだったかその床屋の前を通りがかったら閉まったシャッターに
「このたび閉店することになりました。四十五年間ありがとうございました」
という張り紙がされていた。この日ボクが通りがかったその場所はさら地になっていた。
その先には、昔っからあった町のおもちゃ屋さんがあって色々おもいでがある。ともかく買えもしないのに店に入っていってプラモデルやトミカやミクロマンや超合金の人形を物色していると、背の低いこの店の主人がハタキをパタパタさせながら
「はい、邪魔だから出てくれる」
と言ってボクを追い出すのである。確かに狭い店で、ボク一人が通路に入ったら、すれ違うことは出来なかった。それでも宝の山の店の中に入っていっては、主人にハタキでパタパタとやられたものである。
ボクが小学一年生のとき、父方の祖母が品川のボクの家に来て滞在していたことがあった。ボクの父は何しろ十一人兄弟の長男であるから、その祖母からすればボクは何十人いる孫の一人にすぎない。母方の祖母には孫は三人しかおらず、男の子はボクだけだったのでボクは溺愛されていた。だから母方の祖母には当時千円単位のおもちゃを会うたびに買ってもらっていた。そんな風に甘えても良い相手だった。
その父方の祖母が
「何でも買ってあげるから」
と言ってボクと一緒に出かけたのが、このハタキパタパタのおもちゃ屋だった。
ハタキパタパタの主人も、祖母と一緒にやって来たボクは歓迎のようで、ボクがおもちゃを物色していても何も文句は言わなかった。そうしてボクが選んだおもちゃは「帰ってきたウルトラマン」の人形だった。たぶん当時で五百円くらいだったとおもう。
「そんなモノで良いのかい」
祖母は言った。
「これ、前から欲しかったんだ」
ボクがそう言うと、店の主人は
「もっと高いモノをねだれよなあ」
とおもっていたのかも知れないと、今その店の前に立っておもうが、ボクは確かにそれが欲しかったのだ。そうしてボクは祖母と一緒に、ウルトラマンの腕を前に伸ばしてそのウルトラマンを空に飛ばしながら意気揚々と家に帰った。
ボクが父方の祖母から買ってもらった物は、唯一これだけかも知れない。
そのおもちゃ屋もさら地になり、今はセブンイレブンになっている。
商店街を抜けると、東急池上線が走っている。昔は踏み切りがあって地上を走っていたが、今は地下を走っているので、踏み切りがここにあったことを知っている人は少ないかも知れない。
商店街を抜けて左に行ったところにオープン・カフェがある。この店はここ十年くらいの店であるので、ボクよりは新しい。ボクはその店が好きで、実家に行ったときには行くようにしている。そうして
「アサヒ」
と頼むとスーパー・ドライが出てくる。それを飲みながら、色々あったよなあ。そうしてこれからも色々あるんだろうなあ、とおもいながら、懐かしく、また変わってしまった風景を眺めているのである。
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