Walking on the street-64
高いところが怖い、という話しである。
子供のころは二子玉川園にあった遊園地のジェットコースターや観覧車に平気でのっていたからそれほどのこともなかったんだろうが、大人になってからのボクは高いところが怖くって仕方がない。
歩道橋だって出来れば歩きたくないくらいで、ジェットコースターの類いは十八才のとき、出来たばかりのディズニーランドの「スペース・マウンテン」にのったのが最後で以後、まったくのれなくなってしまった。何しろ怖いのである。
子供が幼かったころ東京タワーに登ってみたいと言うので出かけたことがあったが、落ちないと分かっていてもどこかに落ちる、という気持ちが作用していて観覧フロアの窓ガラスに近づくことが出来ない。土産物屋のレジに張りつくようにしながら窓ガラスに近づいていく子供に
「コラッ、落ちるからそれ以上そっちへ行っちゃ駄目だ」
と叫んでしまう。
遊園地に行けば子供たちは観覧車くらいのりたいと言う。身長制限があってまだジェットコースターにのれないころならばなおのことだ。だから意を決して、のったことがあるが、生きた心地がしなかった。頭の中が、落ちる、落ちる、落ちたら大変だあ、ということになってしまう。
そんな具合だから、飛行機なんてモノはそれはもうトンデモないモノで、必要に迫られて何度となくのっているが、まずシラフでのりこむことは出来ない。だから飛行機で席につくなり旅なれた仕草でシートベルトをしめ、本なんか取り出して読み始める人を見ていると、まったくもって信じられない。
ひとつには、ボクが車の免許をとって自分で車の運転を始めたことも関係しているのかも知れない。車を運転していれば、あわや、という場面に合わないことはない。しかし運転しているのは自分であるから咄嗟の判断を下すことが出来る。しかしジェットコースターや観覧車や飛行機は、自分ではどうすることも出来ないという大前提がまずあって、それを承知でのったり楽しんだりすれば良いのであるがそれが出来ない。落ちる、落ちる、落ちたらどうしよう、となってしまう。
十年ほど前の秋口、必要に迫られて熊本まで飛行機で出かけることになった。このときは飛行機がまったく大丈夫というKという同行者が一緒だった。ボクはKに何度も
「新幹線で行こう。頼むからそうしてくれ。料金だってそう変わらないんだろう」
と言ったがKは
「桜井さん。私も頼みますから飛行機にのって下さい。スケジュールってのもあるんですよ」
と言う。もうチケットもとってしまったとも言う。仕方なく飛行機で熊本に飛んだ。
熊本での用件をすませた夕刻、一旦ホテルに戻るとフロントマンがボクたちに言った。
「お客様は明日、東京にフライトのご予定ですよね」
「そうですが、何か」
フロントマンは
「台風が近づいているそうです」
そう言ってフロントにあるテレビをつけると、天気予報が大型の台風が九州に近づいていて、明日の朝には上陸すると伝えている。ボクは隣りにいるKに言った。
「おい、これは帰れないぜ。明日もう一泊してあさって帰ろう」
ボクの飛行機にのりたくない気持ちは切実だった。Kは言った。
「あさって娘と約束があるんですよねえ。まあ、明日のようすで決めましょう」
そうしてKとボクは熊本の街に出た。西の空を見上げると、沈んでいく夕陽の上に、灰色の大きな雲がドンドン広がっているように見えた。
翌朝目をさますと、雨風ともに強い。ボクはフロントに下りてきたKに言った。
「これゃ駄目だよ。明日娘さんと約束があるなら、新幹線で帰らないか」
ともかくボクの飛行機にのりたくない気持ちは切実だった。Kは落ち着き払って言った。
「とりあえず空港に行ってみましょう。判断はそれからで」
Kとボクはタクシーにのり込んで空港に向かった。
空港に着いて出発ロビーに入ると、掲示板には「欠航」「欠航」の文字が並んでいた。ボクは何だか嬉しくなってKに言った。
「なっ、やっぱり駄目だろう。このようすじゃあ新幹線も駄目かも知れない。今日はあきらめてもう一泊熊本で遊んでいこうぜ」
Kは言った。
「念のためロビーで確認してきます。桜井さんはここにいて下さい」
場合によってはボクはもうビールを飲み始めてフライトに備えていなければならなかったが、その必要もないとおもって喫煙コーナーでタバコに火をつけたらKが戻ってきて言った。
「桜井さん。私たちがのる予定の便だけは飛ぶそうです。機長がそう判断したんだそうです」
ボクは驚いて言った。
「うそだろう。だって外はこの雨風だぜ」
「ともかく搭乗手続きをしてのり込みましょう。機長から説明があるそうです」
ボクは慌てて売店に走り、ビールとウイスキーを買い込んだ。
飛行機にのり込むと空席が目立つ。キャンセルの客が多いのはすぐに分かった。ボクは隣りに座ったKに言った。
「まだ間に合う。ボクたちもキャンセルしよう」
そのとき、機長からフライトを決定した飛行ルートの説明が機内に放送された。内容はこうである。
「機長の松本です。台風は上空7000メートルをゆっくり東にすすんでいます。当機はその台風の目を目指して高度9000メートル以上まで上昇し、そのまま台風を追い越していく形で羽田に向かいます。台風の上空に雨風はないので安全ですので、どうか空の旅をお楽しみ下さい」
という。ボクは言った。
「そんなサンダーバードみたいなフライトにつき合うほどボクは物好きではないぞ。すみませえーん、下りまあーす」
シートベルトをはずしかけたボクをKは必死に引き止めた。
「大丈夫ですよ桜井さん、機長はプロなんですから。本当に危険だったら飛びやしませんよ」
ニコニコと優しい笑顔のスチュワーデスさんもやってきてボクに言った。
「お客様、ご安心下さい」
Kがさっき買ったウイスキーの小瓶をボクに差し出して言った。
「ほら、これ飲んで、あとは寝てて下さい。そしたら羽田なんてすぐですよ」
そんなこと言われたって寝られる訳がない。飛行機は高度9000メートルを目指して滑走路を離れた。しかし機長がいくら大丈夫だと言ったって外は雨風が凄いのだから機は揺れるに決まっている。ボクはウイスキーの小瓶を抱えたまま恐怖に震えKに言った。
「Kさん。今まで色々世話になったね。ちゃんとお礼も出来なかったけど、感謝の気持ちは伝えておくよ」
「何言ってるんですか桜井さん。これくらいの揺れなんて全然大したことないですよ。私はもっと凄い揺れも知ってますよ」
「その飛行機は落ちなかったの」
「だから今私はここにいるんじゃないですか。いいですか、もうすぐ台風の目からその上に抜けますから、そうしたら揺れなくなりますよ」
ほどなく、機は台風の上に出たのか、揺れはおさまり、平行に飛行し始めたようだった。Kは笑って言った。
「ね。大丈夫でしょう」
ボクはウイスキーの小瓶をグビッと飲んで言った。
「ありがとう。だけど飛行機の中でいくら飲んだって、酔っ払うことは不可能だな」
しかし、これで飛行機の恐怖から解放された訳ではなかった。一時間ちょっとしたら、今度は追いかけてくる台風の前に下降して着陸しなければならないのである。そのことを考えるといてもたってもいられない。ボクは隣りにいるKに言った。
「なあ、機長は台風を追い越してって言ってたけど、台風が追いついてきちゃったらどうなるんだ」
「そのときは羽田をあきらめて、どこか東北の飛行場に臨時着陸かなあ。まあ機長に任せるしかありませんから。ハハハ」
「きみはよくそうやって落ち着いていられるなあ。ボクたちはヘタをしたらパニック映画の登場人物みたいなことになるかも知れないんだぜ」
「本当に飛行機が怖いんですねえ。大丈夫ですよ。ハハハ」
しばらくして、機長から機内放送が入った。
「只今より羽田空港への着陸態勢に入ります。台風による風の影響は受けますが、着陸に何の支障もありませんのでご安心下さい」
ボクはKに言った。
「羽田に下りるようだな」
「助かりましたよ。東北まで行っちゃったら、そこから電車だなあってちょっとおもってましたから」
「怖ろしいおもいをするくらいなら、そっちの方がよくないか」
「多少怖ろしいくらいなら、近い方がいいです」
はたして飛行機は下降を始め、着陸態勢に入り始めた。下がっていくにつれ、飛行機の揺れは大きくなっていく。ボクはKに言った。
「この恐ろしさは、多少か」
「まあ、これくらいはね」
揺れは一段と強くなっていく。客席には、飛行機が羽田空港の滑走路を目指しているライヴ映像がモニター画面から流され始めた。この機が右に左に流されているのがよく分かった。
「こういう際のこの映像は、客の恐怖心をあおるだけじゃないか」
ボクが言うと、Kが言った。
「確かにこれは、激しいですねえ」
Kが珍しく顔を硬直させたのでボクはきいてみた。
「怖いのか」
Kは作り笑いを浮かべたものの、すぐに表情を戻して言った。
「ちょっと、怖いですねえ」
滑走路が近づいている。機は激しく左右に振られながら態勢の維持に懸命である。Kが言った。
「こうなってくると、あとは機長次第ですね」
「機長の腕ってことか」
「そうです。機長の経験とテクニックですね」
ボクはウイスキーの小瓶を空にしていたが、酔いなんてどこかに飛んでいってしまっている。
「よおし機長。腕を見せてくれよお」
機は一度大きく左にあおられ、客席からどよめきが上がるシーンもあったが、機長渾身のコントロールで滑走路をキャッチし、逆噴射をかけて減速に入ったとき、空席の多い客席から歓声と拍手が上がった。もちろんKもボクも拍手して喜んだ。
「やったあ、ありがとお」
「ふーっ、よかったあ。空港を出たらビールで祝杯でもあげましょうか」
「そうだな。気分としては機長に一杯おごりたいところだ」
このときのフライトは、ボクが経験した中でもっとも怖ろしかった飛行機での出来事である。この日に熊本空港からたった一便だけ離陸したこの飛行機は、定刻通り無事羽田空港に着陸したので、ボクはKと、ときたま懐かしいおもいで話しとしてこの出来事を語らうことが出来る。そうしてボクはこの飛行機の松本機長という名前を忘れることが出来ない。ボクにはちょっとしたヒーローである。しかしだからといって、ボクが高いところが怖いということに変わりはない。
レッド・ツェッペリン
「ハートブレイカー」
http://www.youtube.com/watch?v=BZ7CZ7nLWZ4&feature=related
子供のころは二子玉川園にあった遊園地のジェットコースターや観覧車に平気でのっていたからそれほどのこともなかったんだろうが、大人になってからのボクは高いところが怖くって仕方がない。
歩道橋だって出来れば歩きたくないくらいで、ジェットコースターの類いは十八才のとき、出来たばかりのディズニーランドの「スペース・マウンテン」にのったのが最後で以後、まったくのれなくなってしまった。何しろ怖いのである。
子供が幼かったころ東京タワーに登ってみたいと言うので出かけたことがあったが、落ちないと分かっていてもどこかに落ちる、という気持ちが作用していて観覧フロアの窓ガラスに近づくことが出来ない。土産物屋のレジに張りつくようにしながら窓ガラスに近づいていく子供に
「コラッ、落ちるからそれ以上そっちへ行っちゃ駄目だ」
と叫んでしまう。
遊園地に行けば子供たちは観覧車くらいのりたいと言う。身長制限があってまだジェットコースターにのれないころならばなおのことだ。だから意を決して、のったことがあるが、生きた心地がしなかった。頭の中が、落ちる、落ちる、落ちたら大変だあ、ということになってしまう。
そんな具合だから、飛行機なんてモノはそれはもうトンデモないモノで、必要に迫られて何度となくのっているが、まずシラフでのりこむことは出来ない。だから飛行機で席につくなり旅なれた仕草でシートベルトをしめ、本なんか取り出して読み始める人を見ていると、まったくもって信じられない。
ひとつには、ボクが車の免許をとって自分で車の運転を始めたことも関係しているのかも知れない。車を運転していれば、あわや、という場面に合わないことはない。しかし運転しているのは自分であるから咄嗟の判断を下すことが出来る。しかしジェットコースターや観覧車や飛行機は、自分ではどうすることも出来ないという大前提がまずあって、それを承知でのったり楽しんだりすれば良いのであるがそれが出来ない。落ちる、落ちる、落ちたらどうしよう、となってしまう。
十年ほど前の秋口、必要に迫られて熊本まで飛行機で出かけることになった。このときは飛行機がまったく大丈夫というKという同行者が一緒だった。ボクはKに何度も
「新幹線で行こう。頼むからそうしてくれ。料金だってそう変わらないんだろう」
と言ったがKは
「桜井さん。私も頼みますから飛行機にのって下さい。スケジュールってのもあるんですよ」
と言う。もうチケットもとってしまったとも言う。仕方なく飛行機で熊本に飛んだ。
熊本での用件をすませた夕刻、一旦ホテルに戻るとフロントマンがボクたちに言った。
「お客様は明日、東京にフライトのご予定ですよね」
「そうですが、何か」
フロントマンは
「台風が近づいているそうです」
そう言ってフロントにあるテレビをつけると、天気予報が大型の台風が九州に近づいていて、明日の朝には上陸すると伝えている。ボクは隣りにいるKに言った。
「おい、これは帰れないぜ。明日もう一泊してあさって帰ろう」
ボクの飛行機にのりたくない気持ちは切実だった。Kは言った。
「あさって娘と約束があるんですよねえ。まあ、明日のようすで決めましょう」
そうしてKとボクは熊本の街に出た。西の空を見上げると、沈んでいく夕陽の上に、灰色の大きな雲がドンドン広がっているように見えた。
翌朝目をさますと、雨風ともに強い。ボクはフロントに下りてきたKに言った。
「これゃ駄目だよ。明日娘さんと約束があるなら、新幹線で帰らないか」
ともかくボクの飛行機にのりたくない気持ちは切実だった。Kは落ち着き払って言った。
「とりあえず空港に行ってみましょう。判断はそれからで」
Kとボクはタクシーにのり込んで空港に向かった。
空港に着いて出発ロビーに入ると、掲示板には「欠航」「欠航」の文字が並んでいた。ボクは何だか嬉しくなってKに言った。
「なっ、やっぱり駄目だろう。このようすじゃあ新幹線も駄目かも知れない。今日はあきらめてもう一泊熊本で遊んでいこうぜ」
Kは言った。
「念のためロビーで確認してきます。桜井さんはここにいて下さい」
場合によってはボクはもうビールを飲み始めてフライトに備えていなければならなかったが、その必要もないとおもって喫煙コーナーでタバコに火をつけたらKが戻ってきて言った。
「桜井さん。私たちがのる予定の便だけは飛ぶそうです。機長がそう判断したんだそうです」
ボクは驚いて言った。
「うそだろう。だって外はこの雨風だぜ」
「ともかく搭乗手続きをしてのり込みましょう。機長から説明があるそうです」
ボクは慌てて売店に走り、ビールとウイスキーを買い込んだ。
飛行機にのり込むと空席が目立つ。キャンセルの客が多いのはすぐに分かった。ボクは隣りに座ったKに言った。
「まだ間に合う。ボクたちもキャンセルしよう」
そのとき、機長からフライトを決定した飛行ルートの説明が機内に放送された。内容はこうである。
「機長の松本です。台風は上空7000メートルをゆっくり東にすすんでいます。当機はその台風の目を目指して高度9000メートル以上まで上昇し、そのまま台風を追い越していく形で羽田に向かいます。台風の上空に雨風はないので安全ですので、どうか空の旅をお楽しみ下さい」
という。ボクは言った。
「そんなサンダーバードみたいなフライトにつき合うほどボクは物好きではないぞ。すみませえーん、下りまあーす」
シートベルトをはずしかけたボクをKは必死に引き止めた。
「大丈夫ですよ桜井さん、機長はプロなんですから。本当に危険だったら飛びやしませんよ」
ニコニコと優しい笑顔のスチュワーデスさんもやってきてボクに言った。
「お客様、ご安心下さい」
Kがさっき買ったウイスキーの小瓶をボクに差し出して言った。
「ほら、これ飲んで、あとは寝てて下さい。そしたら羽田なんてすぐですよ」
そんなこと言われたって寝られる訳がない。飛行機は高度9000メートルを目指して滑走路を離れた。しかし機長がいくら大丈夫だと言ったって外は雨風が凄いのだから機は揺れるに決まっている。ボクはウイスキーの小瓶を抱えたまま恐怖に震えKに言った。
「Kさん。今まで色々世話になったね。ちゃんとお礼も出来なかったけど、感謝の気持ちは伝えておくよ」
「何言ってるんですか桜井さん。これくらいの揺れなんて全然大したことないですよ。私はもっと凄い揺れも知ってますよ」
「その飛行機は落ちなかったの」
「だから今私はここにいるんじゃないですか。いいですか、もうすぐ台風の目からその上に抜けますから、そうしたら揺れなくなりますよ」
ほどなく、機は台風の上に出たのか、揺れはおさまり、平行に飛行し始めたようだった。Kは笑って言った。
「ね。大丈夫でしょう」
ボクはウイスキーの小瓶をグビッと飲んで言った。
「ありがとう。だけど飛行機の中でいくら飲んだって、酔っ払うことは不可能だな」
しかし、これで飛行機の恐怖から解放された訳ではなかった。一時間ちょっとしたら、今度は追いかけてくる台風の前に下降して着陸しなければならないのである。そのことを考えるといてもたってもいられない。ボクは隣りにいるKに言った。
「なあ、機長は台風を追い越してって言ってたけど、台風が追いついてきちゃったらどうなるんだ」
「そのときは羽田をあきらめて、どこか東北の飛行場に臨時着陸かなあ。まあ機長に任せるしかありませんから。ハハハ」
「きみはよくそうやって落ち着いていられるなあ。ボクたちはヘタをしたらパニック映画の登場人物みたいなことになるかも知れないんだぜ」
「本当に飛行機が怖いんですねえ。大丈夫ですよ。ハハハ」
しばらくして、機長から機内放送が入った。
「只今より羽田空港への着陸態勢に入ります。台風による風の影響は受けますが、着陸に何の支障もありませんのでご安心下さい」
ボクはKに言った。
「羽田に下りるようだな」
「助かりましたよ。東北まで行っちゃったら、そこから電車だなあってちょっとおもってましたから」
「怖ろしいおもいをするくらいなら、そっちの方がよくないか」
「多少怖ろしいくらいなら、近い方がいいです」
はたして飛行機は下降を始め、着陸態勢に入り始めた。下がっていくにつれ、飛行機の揺れは大きくなっていく。ボクはKに言った。
「この恐ろしさは、多少か」
「まあ、これくらいはね」
揺れは一段と強くなっていく。客席には、飛行機が羽田空港の滑走路を目指しているライヴ映像がモニター画面から流され始めた。この機が右に左に流されているのがよく分かった。
「こういう際のこの映像は、客の恐怖心をあおるだけじゃないか」
ボクが言うと、Kが言った。
「確かにこれは、激しいですねえ」
Kが珍しく顔を硬直させたのでボクはきいてみた。
「怖いのか」
Kは作り笑いを浮かべたものの、すぐに表情を戻して言った。
「ちょっと、怖いですねえ」
滑走路が近づいている。機は激しく左右に振られながら態勢の維持に懸命である。Kが言った。
「こうなってくると、あとは機長次第ですね」
「機長の腕ってことか」
「そうです。機長の経験とテクニックですね」
ボクはウイスキーの小瓶を空にしていたが、酔いなんてどこかに飛んでいってしまっている。
「よおし機長。腕を見せてくれよお」
機は一度大きく左にあおられ、客席からどよめきが上がるシーンもあったが、機長渾身のコントロールで滑走路をキャッチし、逆噴射をかけて減速に入ったとき、空席の多い客席から歓声と拍手が上がった。もちろんKもボクも拍手して喜んだ。
「やったあ、ありがとお」
「ふーっ、よかったあ。空港を出たらビールで祝杯でもあげましょうか」
「そうだな。気分としては機長に一杯おごりたいところだ」
このときのフライトは、ボクが経験した中でもっとも怖ろしかった飛行機での出来事である。この日に熊本空港からたった一便だけ離陸したこの飛行機は、定刻通り無事羽田空港に着陸したので、ボクはKと、ときたま懐かしいおもいで話しとしてこの出来事を語らうことが出来る。そうしてボクはこの飛行機の松本機長という名前を忘れることが出来ない。ボクにはちょっとしたヒーローである。しかしだからといって、ボクが高いところが怖いということに変わりはない。
レッド・ツェッペリン
「ハートブレイカー」
http://www.youtube.com/watch?v=BZ7CZ7nLWZ4&feature=related
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