Walking on the street-21
ボクとYさんは文蔵に上がった。Yさんはコンピュータのプログラマである。
ケムッかぶりの席は一杯なので、奥の席に陣取る。Yさんはよく食べる人なので、モツ焼きをたくさん頼まなくてはいけないが、お母さんのもとには大量の注文が入っているらしく忙しそうである。仕方がないから
「焼き物はあとでいいですから」
と言ってビールと煮込みをお願いする。
ボクは、最初の一杯目のビールは、まずはグイッと一気に飲み干してしまうが、酒飲みではないYさんはグビッと上の方を口にするだけで、ただちに煮込みに取りかかっている。
「Yさん、やっぱりプログラマの人たちは酒を飲まない人が多いんですか」
Yさんが手をとめて言う。
「ほらっ、桜井さんはまたカテゴライズしている。決めつけている。まだ頭が硬いですねえ」
ボクは慌てた。
「ああ、またやってしまった。Yさんといると、どうもプログラマは酒を飲まない人だとおもい込んでしまう。いけないなあ」
「プログラマにもいますよ。桜井さんのように浴びるほど飲むのは。安心して下さい。ミュージシャンだってみんながみんな酒飲みな訳じゃないでしょう」
「飲まない奴も、いますね。それゃそうですよね」
お母さんが焼き物の注文を取りにきてくれた。
「ガツはしょうゆで二本、カシラ、タン、ツクネは二本づつ塩でお願いします」
頼み終わって、ボクはYさんに言った。
「きっと足りないでしょうから、あとでまた頼みましょうね」
「今日は、少しセーブしましょう。何しろ米を禁じている身なのでね」
ボクは食べかけているキャベツを皿に戻して言った。
「今日くらい良いじゃないですか。ボクはYさんなら、文蔵モツ焼き本数記録を破れるとおもっているんです。その現場に立ち合いたいんですよ」
Yさんは苦笑して言った。
「記録は、コタンの店長が持ってるんでしたっけ」
「ええ、非公式ですけど。文蔵さんのこの大きなモツ焼きを、二十本以上喰う客なんていやしませんよ」
煮込みの汁を飲み干して、Yさんは言った。
「確かに大きいですもんねえ。さっきの寿司のシャリじゃありませんが、通常の二倍か三倍はあるでしょうねえ。本当に二十本も食べたんですか、コタンの店長は」
ボクは自分のことのように誇らしげに言った。
「食べました。ボクそこにいましたから間違いありません。だけど、実は、モツ焼きの大家だってとこをボクに見せつけたくて、かなり無理してたのかな。いや、だけど嬉しそうな顔で食べてたもんなあ」
湯気をあげたカシラが、まずボクたちの前におかれた。Yさんは言った。
「これを二十本は凄いなあ」
ボクとYさんは、いつからか酒を飲んでいた。いくら普段酒をまったく必要としないYさんも、文蔵にくると飲む。
「音楽と数学の関係ですけど」
ボクが言いかけると、Yさんが言った。
「ああ、その話しね。それは無理矢理理詰めでくっつけることは出来ますけどね、結局のところナンセンスなんじゃないかなあ」
「ナンセンス、ですか」
ガツをほおばったあとYさんは言った。
「学校で教えてくれる学問、あるでしょう。教科は何だっていいですけど」
「ええ」
ボクは酒をドボドボッとグラスに注いだ。Yさんは続けた。
「教科書に書いてあることは、所詮それだけのことなんですよ。前にも話しましたけど、何故そうなったかを知ることが重要でね」
「はあ」
「音楽に例えれば、ベートーベンやモーツアルトの頃は、音楽は貴族、金持ちだけのモノだったでしょう」
「ああ、室内楽とかそういうモノですね」
「そうです。今のように庶民や不良少年たちのモノではなかった訳ですよ。少なくとも」
ボクは酒をチビチビやりながらYさんの話しにききいっていた。
「そういうところから出発して、ギターなんてのは演奏者と、製作者と、実は数学者が、たくさんの試行錯誤ののちに今の形になってきた訳ですよ」
「数学者がそこにいた訳ですか」
「いたんですよ。フレットの幅、弦と弦の幅、それから素数の音が人に心地よいといわれているんですが、どうチューニングして、どう押さえて、どう弦をつま弾けばいいか、数学者もギター製作には深く関わってきたのです」
お母さんに酒を頼む。今日はピッチが早いという顔をしながらシブシブ出してくれる。
ボクが頼んだ酒を、Yさんは自分のグラスに注いだ。ボクは言った。
「そうかあ、そういう意味では音楽は数学的ですよねえ」
「そうなんですよ。しかし、ここからが桜井さんの分野ですが、音楽は卓上のモノではありませんよね」
「そらそうです。空間に漂うモノですからね」
Yさんは酒をチビッと飲んで言った。
「だから、教科書で教えてもらうことに、本当の意味はないのです。本当にその学問を学びたければ、どうして今こうなったのかを知ることこそが重要な訳です」
「ボクはベートーベンやモーツアルトは聴きませんよ」
Yさんは笑いながら言った。
「そして楽譜も読めませんよね。でも音楽を作っている。良い悪いの話しをしているのではないですよ。でも音楽を作っている訳ですよ。桜井さんは」
「まあ、良い悪いは別にして」
「音楽の教科書を見て、ギターを弾こうとか曲を作ろうとかおもった訳ではないですよね、桜井さんは。ビートルズがいて、彼らの音楽に打ちのめされたから演ってみたいとおもったんでしょう」
ボクは酒をグビッと飲んで言った。
「その通りです」
「そのビートルズにしたって、エルビスやチャック・ベリーやカール・パーキンスや」
「ああ、あとバディ・ホリーやリトル・リチゃーズとかね」
「そういうことなんですよ。本当にその学問、というと硬いですが、その道を目指すということは、その道の過去を知るということなんですよ。そしてそこから作っていくというような」
Yさんは、自分ももう少し飲むとうい顔をしてボクに注文をうながした。ボクはカウンターにお銚子を二本立てた。
「前にも言いましたけれども、難しい数学の問題を解ける受験生というのはいくらでもいるんですよ。ただ彼らはそれで優秀な大学に入って就職して、ただそれだけなんですね。どうして今の数学がこうなったか分からないので、未来に数式が作れないのです。こういうのは数学者ではありません」
ほろ酔いのYさんが言った。ボクは言った。
「Yさんは、数字を見て昼間からニヤニヤしてるって言ってたじゃないですか。それは本当に数字が美しいとおもっているんですよね」
「美しいですよ。それは見事に」
「そこが最後には分からないのだなあ、ボクには。どうして数字が美しいんだろう」
Yさんはボクのグラスに酒を注ぎながら言った。
「だから桜井さんは頭が硬いんですよ。いいですか。今我々が使っている文字に置き換えてみましょう。象という文字は最初はどうだったでしょう。ゾウを見て、人はそれを伝えるために何か、もっと面倒臭い文字を作ったのでしょうね。それがだんだん省略されて象になった。数学も同じです。桜井さんには数字の羅列にしか見えないでしょうが、その歴史を分かっていれば、それは文字を読むのと同じように意味が分かるんです。そこには先人たちからの意思があるんですよ」
ボクは腕組みして考えた。
「数字を、読むんですか」
Yさんは煮込みのおかわりをボクにうながすので、お母さんの合間を見て注文する。まだ飲んでいくつもりかというお母さんの気迫が伝わってくるが、ボクの客人が食べたいと言っているので仕方がない。
ボクは酒を飲みながら言う。
「Yさん、それって言葉ってことですか。ボクには数字は読めないですけど」
Yさんは言った。
「そういうことなんですよ。私は英語を話しますけど、それを理解しない人にはまったく分からないモノですよね。それとまったく同じことなんですよ」
「ああ、そうかあ」
ボクにも少し分かってきた。Yさんは言った。
「だから、理系と文系をカテゴライズする意味なんて、ないんですよね。その言語を理解出来るか出来ないかだけのことで」
ボクは叫んだ。
「ああ、そうかあ。言葉なんだあ」
ボクがそう叫んだので、文蔵さんとお母さんはビックリした顔でボクの方を見た。
ケムッかぶりの席は一杯なので、奥の席に陣取る。Yさんはよく食べる人なので、モツ焼きをたくさん頼まなくてはいけないが、お母さんのもとには大量の注文が入っているらしく忙しそうである。仕方がないから
「焼き物はあとでいいですから」
と言ってビールと煮込みをお願いする。
ボクは、最初の一杯目のビールは、まずはグイッと一気に飲み干してしまうが、酒飲みではないYさんはグビッと上の方を口にするだけで、ただちに煮込みに取りかかっている。
「Yさん、やっぱりプログラマの人たちは酒を飲まない人が多いんですか」
Yさんが手をとめて言う。
「ほらっ、桜井さんはまたカテゴライズしている。決めつけている。まだ頭が硬いですねえ」
ボクは慌てた。
「ああ、またやってしまった。Yさんといると、どうもプログラマは酒を飲まない人だとおもい込んでしまう。いけないなあ」
「プログラマにもいますよ。桜井さんのように浴びるほど飲むのは。安心して下さい。ミュージシャンだってみんながみんな酒飲みな訳じゃないでしょう」
「飲まない奴も、いますね。それゃそうですよね」
お母さんが焼き物の注文を取りにきてくれた。
「ガツはしょうゆで二本、カシラ、タン、ツクネは二本づつ塩でお願いします」
頼み終わって、ボクはYさんに言った。
「きっと足りないでしょうから、あとでまた頼みましょうね」
「今日は、少しセーブしましょう。何しろ米を禁じている身なのでね」
ボクは食べかけているキャベツを皿に戻して言った。
「今日くらい良いじゃないですか。ボクはYさんなら、文蔵モツ焼き本数記録を破れるとおもっているんです。その現場に立ち合いたいんですよ」
Yさんは苦笑して言った。
「記録は、コタンの店長が持ってるんでしたっけ」
「ええ、非公式ですけど。文蔵さんのこの大きなモツ焼きを、二十本以上喰う客なんていやしませんよ」
煮込みの汁を飲み干して、Yさんは言った。
「確かに大きいですもんねえ。さっきの寿司のシャリじゃありませんが、通常の二倍か三倍はあるでしょうねえ。本当に二十本も食べたんですか、コタンの店長は」
ボクは自分のことのように誇らしげに言った。
「食べました。ボクそこにいましたから間違いありません。だけど、実は、モツ焼きの大家だってとこをボクに見せつけたくて、かなり無理してたのかな。いや、だけど嬉しそうな顔で食べてたもんなあ」
湯気をあげたカシラが、まずボクたちの前におかれた。Yさんは言った。
「これを二十本は凄いなあ」
ボクとYさんは、いつからか酒を飲んでいた。いくら普段酒をまったく必要としないYさんも、文蔵にくると飲む。
「音楽と数学の関係ですけど」
ボクが言いかけると、Yさんが言った。
「ああ、その話しね。それは無理矢理理詰めでくっつけることは出来ますけどね、結局のところナンセンスなんじゃないかなあ」
「ナンセンス、ですか」
ガツをほおばったあとYさんは言った。
「学校で教えてくれる学問、あるでしょう。教科は何だっていいですけど」
「ええ」
ボクは酒をドボドボッとグラスに注いだ。Yさんは続けた。
「教科書に書いてあることは、所詮それだけのことなんですよ。前にも話しましたけど、何故そうなったかを知ることが重要でね」
「はあ」
「音楽に例えれば、ベートーベンやモーツアルトの頃は、音楽は貴族、金持ちだけのモノだったでしょう」
「ああ、室内楽とかそういうモノですね」
「そうです。今のように庶民や不良少年たちのモノではなかった訳ですよ。少なくとも」
ボクは酒をチビチビやりながらYさんの話しにききいっていた。
「そういうところから出発して、ギターなんてのは演奏者と、製作者と、実は数学者が、たくさんの試行錯誤ののちに今の形になってきた訳ですよ」
「数学者がそこにいた訳ですか」
「いたんですよ。フレットの幅、弦と弦の幅、それから素数の音が人に心地よいといわれているんですが、どうチューニングして、どう押さえて、どう弦をつま弾けばいいか、数学者もギター製作には深く関わってきたのです」
お母さんに酒を頼む。今日はピッチが早いという顔をしながらシブシブ出してくれる。
ボクが頼んだ酒を、Yさんは自分のグラスに注いだ。ボクは言った。
「そうかあ、そういう意味では音楽は数学的ですよねえ」
「そうなんですよ。しかし、ここからが桜井さんの分野ですが、音楽は卓上のモノではありませんよね」
「そらそうです。空間に漂うモノですからね」
Yさんは酒をチビッと飲んで言った。
「だから、教科書で教えてもらうことに、本当の意味はないのです。本当にその学問を学びたければ、どうして今こうなったのかを知ることこそが重要な訳です」
「ボクはベートーベンやモーツアルトは聴きませんよ」
Yさんは笑いながら言った。
「そして楽譜も読めませんよね。でも音楽を作っている。良い悪いの話しをしているのではないですよ。でも音楽を作っている訳ですよ。桜井さんは」
「まあ、良い悪いは別にして」
「音楽の教科書を見て、ギターを弾こうとか曲を作ろうとかおもった訳ではないですよね、桜井さんは。ビートルズがいて、彼らの音楽に打ちのめされたから演ってみたいとおもったんでしょう」
ボクは酒をグビッと飲んで言った。
「その通りです」
「そのビートルズにしたって、エルビスやチャック・ベリーやカール・パーキンスや」
「ああ、あとバディ・ホリーやリトル・リチゃーズとかね」
「そういうことなんですよ。本当にその学問、というと硬いですが、その道を目指すということは、その道の過去を知るということなんですよ。そしてそこから作っていくというような」
Yさんは、自分ももう少し飲むとうい顔をしてボクに注文をうながした。ボクはカウンターにお銚子を二本立てた。
「前にも言いましたけれども、難しい数学の問題を解ける受験生というのはいくらでもいるんですよ。ただ彼らはそれで優秀な大学に入って就職して、ただそれだけなんですね。どうして今の数学がこうなったか分からないので、未来に数式が作れないのです。こういうのは数学者ではありません」
ほろ酔いのYさんが言った。ボクは言った。
「Yさんは、数字を見て昼間からニヤニヤしてるって言ってたじゃないですか。それは本当に数字が美しいとおもっているんですよね」
「美しいですよ。それは見事に」
「そこが最後には分からないのだなあ、ボクには。どうして数字が美しいんだろう」
Yさんはボクのグラスに酒を注ぎながら言った。
「だから桜井さんは頭が硬いんですよ。いいですか。今我々が使っている文字に置き換えてみましょう。象という文字は最初はどうだったでしょう。ゾウを見て、人はそれを伝えるために何か、もっと面倒臭い文字を作ったのでしょうね。それがだんだん省略されて象になった。数学も同じです。桜井さんには数字の羅列にしか見えないでしょうが、その歴史を分かっていれば、それは文字を読むのと同じように意味が分かるんです。そこには先人たちからの意思があるんですよ」
ボクは腕組みして考えた。
「数字を、読むんですか」
Yさんは煮込みのおかわりをボクにうながすので、お母さんの合間を見て注文する。まだ飲んでいくつもりかというお母さんの気迫が伝わってくるが、ボクの客人が食べたいと言っているので仕方がない。
ボクは酒を飲みながら言う。
「Yさん、それって言葉ってことですか。ボクには数字は読めないですけど」
Yさんは言った。
「そういうことなんですよ。私は英語を話しますけど、それを理解しない人にはまったく分からないモノですよね。それとまったく同じことなんですよ」
「ああ、そうかあ」
ボクにも少し分かってきた。Yさんは言った。
「だから、理系と文系をカテゴライズする意味なんて、ないんですよね。その言語を理解出来るか出来ないかだけのことで」
ボクは叫んだ。
「ああ、そうかあ。言葉なんだあ」
ボクがそう叫んだので、文蔵さんとお母さんはビックリした顔でボクの方を見た。
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