ライヴハウス四谷コタンとの格闘-53
2004年の4月、ボクにCD制作の話しが持ち上がる直前のことであるが、ボクの愛用のギターが変調をきたした。
「何か、変な音がしますねえ」
コタンでのリハーサルのとき、久保ちゃんに指摘された。
「そう言われれば変だなあ」
見ると、二弦を支えるナットの切れ目がかけていて、弦がビビッて振動していることが分かった。
「これじゃあ本番には使えませんねえ。今日はコタンのギターで演りますか」
「ボクはどんなギターでもすぐに弾けるような器用なギター弾きではないから、無理かも知れない。しかし困ったぞ」
そのとき、その日の競演者であるギタリストのO氏が知恵を貸してくれた。
「二弦だけ、ミディアム弦にしたらイケルとおもうよ。ちょっとやってみなよ」
久保ちゃんが、コタンにストックしてあったマーチンのミディアム弦を出してきてくれたので、ボクは急いで張り替えて弾いてみた。
「どうだろう」
久保ちゃんとO氏はうなずいた。
「今晩は持つよ」
一部始終を見ていた木村さんが言った。
「しかしそのギターはメンテナンスが必要だな。いいか、今日のライヴが終わったらそのギターを安達さんのところへ持っていけ。最高のギター職人だ」
安達大輔さんは、ひばりが丘でギター・ショップを経営するギター職人で、塩川昇のバックでギターを弾いているコタンの出演者でもある。塩川昇とは離れて、ソロや別ユニットでコタンに出演していることも多い。
その晩のライヴは久保ちゃんとO氏のおかげで無事終わった。そしてその次の休日、ボクはひばりが丘の安達さんの店を目指した。
ひばりが丘くらいには何とか行ける。しかし、ボクは渋谷と池袋の東急ハンズに真っ直ぐ行くことの出来ない男である。そのことは自分でもよく分かっているので、ボクはまずひばりが丘駅前の交番に入った。
「この町に、ギター屋さんがあるときいてきたのですが」
おまわりさんは言った。
「店の名前は分かりますか」
そういえば店名をききそびれていた。木村さんもそれくらい気を回して教えておいてくれれば良いのにとおもうがもう遅い。
「えーと、安達さんという腕の良いギター職人さんがいる店なんですが」
若いおまわりさんはボクがぶら下げているギターをチラッと見る。おまわりさんもこういう面倒な奴の相手はしたくはないだろうなと半ば諦めかけたが、その若いおまわりさんは任せてくれという顔をして方々に電話をし始めた。
十分がたち、二十分がたった。しかしボクに「早くしろよ」と若いおまわりさんをとがめる気持ちは一切ない。このおまわりさんに頼らず、ボクが一人で歩きだしたら、たぶん二三時間かかっても安達さんの店にはたどり着けなかったであろう。安達さんの店が、それほど分かりにくい所にあるというのではない。ただボクが、右かなとおもうとどうしても左にいってしまいたくなる性分なだけだ。渋谷と池袋の東急ハンズにしたって、それほど意地悪な所にある訳ではない。
「ありました、ありました」
若いおまわりさんは言った。あるのは最初から分かっていたことなので、そのことへの感動はない。ただこの若いおまわりさんが、この馬鹿者のリクエストを全うしてくれたことに感動した。若いおまわりさんは最後まで親切だった。
「いいですか、ここに踏み切りがありますよね」
「ええ、あります。西武線ですね」
「はい。この踏み切りは朝と夕方は開かずの踏み切りと言われるくらい、電車の往来が激しいのですが、今は正午過ぎですからそれほどでもありません。踏み切りが上がっている間に渡って下さい」
「閉まっている踏み切りを突破するほどボクは若くはありませんが、分かりました。上がっている間に渡ります。それでどう行けば良いですか」
「踏み切りの向こうで道が二つに分かれていますね、見えますか」
「ええ、見えます」
「あれを左の方に行って下さい。そうすると、すぐ左側にPというビルがあります。その地下です」
若いおまわりさんの言ったとおり、踏み切りを超えて左に行ったらすぐのところに、安達さんの店「ジ・オリジナル・ギターズ」はあった。
あいにく安達さんは出張中で、ここでも若い店員さんがボクの相手をしてくれた。ボクが年をとっているのだから当たり前だが、楽器屋さんはいつもボクよりお兄さんであった時代はとうに過ぎているらしい。安達さんはいくつなのだろう。
「このナットを直していただきたいのです」
「分かりました。仕上がりはいつがご希望ですか」
「次のライヴには間に合わせたいので、三週間くらいでお願い出来ないですか」
「分かりました。十日後に仕上げます」
そう言われた。こういうことは、楽器屋の方でも演っていないと分からないことなのである。修理から帰ってきた愛用のギターと仲良くなるのには時間がいるのである。安達さんはいなかったけれども、ボクはとても安心して彼にギターを預けた。
帰り道、ひばりが丘駅前の交番にいる若いおまわりさんに、手ぶらのボクはアイサツした。
「無事に行けました。ありがとう」
十日後、ボクは再びひばりが丘に来た。もう交番で道を尋ねることはない。元々それほど遠くはないし分かり難くもない。最初に来たときには、用心を重ねていたに過ぎない。
安達さんがボクのギターを修理してくれた経緯を話してくれる。
「ナットはもう大丈夫です。たぶん半永久的に持つでしょう」
「ありがとうございます」
「それからネックですが、高音の方、つまり一弦よりが内側に、六弦よりが外にそっていましたので調整しておきました。音のバランスが良くなったはずですが、ちょっと弾いてみて下さい」
ボクは使いなれたギターを手にした。弾いてみると感触が全然違う。今は弾きづらいが、これまでがひどいコンディションであったといって良いだろう。
「こんなにそっていましたか」
「そうですね。この状態がベストです。弾きづらければ多少戻しますが」
「いや、このままで結構です。ボクがギターに合わせていきます」
ボクは良い医者にかかったようで非常に良い気分だった。ギターのことでこんなに頼りになる人がいることが嬉しかった。実際、ボクのギターはよく鳴るようになった。こういうことはなかなかないことである。
安達さんのギターの店は、ひばりが丘の「ジ・オリジナル・ギターズ」である。ボクにとって、このときのギターのメンテナンスは、偶然かも知れないがこのあとのCD制作につながった。ボクは安達さんの手にかかったギターで、CDのレコーディングが出来た訳である。
「何か、変な音がしますねえ」
コタンでのリハーサルのとき、久保ちゃんに指摘された。
「そう言われれば変だなあ」
見ると、二弦を支えるナットの切れ目がかけていて、弦がビビッて振動していることが分かった。
「これじゃあ本番には使えませんねえ。今日はコタンのギターで演りますか」
「ボクはどんなギターでもすぐに弾けるような器用なギター弾きではないから、無理かも知れない。しかし困ったぞ」
そのとき、その日の競演者であるギタリストのO氏が知恵を貸してくれた。
「二弦だけ、ミディアム弦にしたらイケルとおもうよ。ちょっとやってみなよ」
久保ちゃんが、コタンにストックしてあったマーチンのミディアム弦を出してきてくれたので、ボクは急いで張り替えて弾いてみた。
「どうだろう」
久保ちゃんとO氏はうなずいた。
「今晩は持つよ」
一部始終を見ていた木村さんが言った。
「しかしそのギターはメンテナンスが必要だな。いいか、今日のライヴが終わったらそのギターを安達さんのところへ持っていけ。最高のギター職人だ」
安達大輔さんは、ひばりが丘でギター・ショップを経営するギター職人で、塩川昇のバックでギターを弾いているコタンの出演者でもある。塩川昇とは離れて、ソロや別ユニットでコタンに出演していることも多い。
その晩のライヴは久保ちゃんとO氏のおかげで無事終わった。そしてその次の休日、ボクはひばりが丘の安達さんの店を目指した。
ひばりが丘くらいには何とか行ける。しかし、ボクは渋谷と池袋の東急ハンズに真っ直ぐ行くことの出来ない男である。そのことは自分でもよく分かっているので、ボクはまずひばりが丘駅前の交番に入った。
「この町に、ギター屋さんがあるときいてきたのですが」
おまわりさんは言った。
「店の名前は分かりますか」
そういえば店名をききそびれていた。木村さんもそれくらい気を回して教えておいてくれれば良いのにとおもうがもう遅い。
「えーと、安達さんという腕の良いギター職人さんがいる店なんですが」
若いおまわりさんはボクがぶら下げているギターをチラッと見る。おまわりさんもこういう面倒な奴の相手はしたくはないだろうなと半ば諦めかけたが、その若いおまわりさんは任せてくれという顔をして方々に電話をし始めた。
十分がたち、二十分がたった。しかしボクに「早くしろよ」と若いおまわりさんをとがめる気持ちは一切ない。このおまわりさんに頼らず、ボクが一人で歩きだしたら、たぶん二三時間かかっても安達さんの店にはたどり着けなかったであろう。安達さんの店が、それほど分かりにくい所にあるというのではない。ただボクが、右かなとおもうとどうしても左にいってしまいたくなる性分なだけだ。渋谷と池袋の東急ハンズにしたって、それほど意地悪な所にある訳ではない。
「ありました、ありました」
若いおまわりさんは言った。あるのは最初から分かっていたことなので、そのことへの感動はない。ただこの若いおまわりさんが、この馬鹿者のリクエストを全うしてくれたことに感動した。若いおまわりさんは最後まで親切だった。
「いいですか、ここに踏み切りがありますよね」
「ええ、あります。西武線ですね」
「はい。この踏み切りは朝と夕方は開かずの踏み切りと言われるくらい、電車の往来が激しいのですが、今は正午過ぎですからそれほどでもありません。踏み切りが上がっている間に渡って下さい」
「閉まっている踏み切りを突破するほどボクは若くはありませんが、分かりました。上がっている間に渡ります。それでどう行けば良いですか」
「踏み切りの向こうで道が二つに分かれていますね、見えますか」
「ええ、見えます」
「あれを左の方に行って下さい。そうすると、すぐ左側にPというビルがあります。その地下です」
若いおまわりさんの言ったとおり、踏み切りを超えて左に行ったらすぐのところに、安達さんの店「ジ・オリジナル・ギターズ」はあった。
あいにく安達さんは出張中で、ここでも若い店員さんがボクの相手をしてくれた。ボクが年をとっているのだから当たり前だが、楽器屋さんはいつもボクよりお兄さんであった時代はとうに過ぎているらしい。安達さんはいくつなのだろう。
「このナットを直していただきたいのです」
「分かりました。仕上がりはいつがご希望ですか」
「次のライヴには間に合わせたいので、三週間くらいでお願い出来ないですか」
「分かりました。十日後に仕上げます」
そう言われた。こういうことは、楽器屋の方でも演っていないと分からないことなのである。修理から帰ってきた愛用のギターと仲良くなるのには時間がいるのである。安達さんはいなかったけれども、ボクはとても安心して彼にギターを預けた。
帰り道、ひばりが丘駅前の交番にいる若いおまわりさんに、手ぶらのボクはアイサツした。
「無事に行けました。ありがとう」
十日後、ボクは再びひばりが丘に来た。もう交番で道を尋ねることはない。元々それほど遠くはないし分かり難くもない。最初に来たときには、用心を重ねていたに過ぎない。
安達さんがボクのギターを修理してくれた経緯を話してくれる。
「ナットはもう大丈夫です。たぶん半永久的に持つでしょう」
「ありがとうございます」
「それからネックですが、高音の方、つまり一弦よりが内側に、六弦よりが外にそっていましたので調整しておきました。音のバランスが良くなったはずですが、ちょっと弾いてみて下さい」
ボクは使いなれたギターを手にした。弾いてみると感触が全然違う。今は弾きづらいが、これまでがひどいコンディションであったといって良いだろう。
「こんなにそっていましたか」
「そうですね。この状態がベストです。弾きづらければ多少戻しますが」
「いや、このままで結構です。ボクがギターに合わせていきます」
ボクは良い医者にかかったようで非常に良い気分だった。ギターのことでこんなに頼りになる人がいることが嬉しかった。実際、ボクのギターはよく鳴るようになった。こういうことはなかなかないことである。
安達さんのギターの店は、ひばりが丘の「ジ・オリジナル・ギターズ」である。ボクにとって、このときのギターのメンテナンスは、偶然かも知れないがこのあとのCD制作につながった。ボクは安達さんの手にかかったギターで、CDのレコーディングが出来た訳である。
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