再録上川ラーメン四谷ピヤシリ-47
作成日時 : 2012/06/02 15:07
「夕やけ」が店を閉めて、そのさびしさを少しずつ感じ始めている。
「夕やけ」というラーメン店が、「ピヤシリ」という名で四谷のライヴハウス・コタンのホントにすぐ傍に店を構えていたときに、ボクたちはその店を
「リアリィ(マジ?)」
というくらいに懇意にしていた。考えてみると「コタン」も「ピヤシリ」も偶然にもアイヌ語であって、コタンは集落という意、ピヤシリは、その店がその味を継承した「朝日食堂」がある北海道上川町にほど近い層雲峡の一角をなすピヤシリ山から命名された「岩でできた固い山」という意味だそうだ。
そのいかにも頑固そうなイメージは、ボクにはピッタリくる。ピヤシリの人たちは皆さん人なつこい当たりのやわらかい人たちばかりだったが、芯は頑固だった。頑固爺と頑固婆の巣窟で、ボクたちはゲラゲラと笑ったり、ときには泣いたりしていた訳だ。
ピヤシリのある地下につながる階段を下りて、カウンターだけの小さな店の席に腰かけて、ビールと角煮と煮卵をもらって始める。コタンでのライヴがなくて、単にピヤシリに来ただけというときのこのときの気持ちは、上手く言い表せないが
「盆と正月が一緒に来た」
くらいのことは言っても大袈裟ではない。もちろんピヤシリはすでになくなっていて、夕やけも閉店してしまったからなおのことそうおもえるのかも知れない。
そして今その店のことを憶いだすと、這入っていった頻度がともかく多かったピヤシリの風景が色々と浮かんでくる。
そうして店の人たちと話しをしていると、知った顔の客が次々と店に這入ってくる。
そういう記憶はピヤシリの風景として色濃く残っている。まさに
「盆と正月が一緒に来た」
という風になる訳である。
コタン関係者以外の客とも多数知り合いが出来た。カッちゃんや梅さんなんかは、ピヤシリに行けばいつでもいるような客だった。この人たちは普段何をしているのだろうとおもったもので、向こうもそうおもったかも知れない。親しくなって話しをきいたらお二人ともとても立派な仕事をしている方なので驚いたが、話すことはともかく痛快な馬鹿話しばかりで、今おもうとよくもまあと感心してしまう。しかし、そういう空間というのはおいそれとあるものではない。サッちゃんに卵焼きを頼む。酒をもらう。同じカウンターには愛すべき酔客がいて、店には頑固爺と頑固婆たちがいる。もうこれ以上何もいらない。
「あいつらはピヤシリに行ってラーメンを頼まないで酒ばかり飲んでいる」
と言われたのはこういうお行儀故で、それは確かにそうなのだが、ラーメンをまったく食べなかった訳ではない。今おもうとあの短い何年間のあいだに、勿論一通りのラーメンは食べているし、その旨さも知っている。でなければその店のラーメンを
「世界一」
などとは言わない。世界一というのはいかにも大袈裟だが
「そのくらいにおもってもらって構わない」
くらいに、ボクは妙に大仰におもって知り合いを何人も引っぱっていったものだ。
酒の席でのボクの姿を知っている人は知っていることだが、ボクはグイグイ飲んですぐに酔っ払ってしまう。しかしそんなボクだって
「今日は上手に飲んでやるぞ」
と心に決めて、ピヤシリで最高に旨い酒と肴とラーメンを味わったことがあるのだ。
まずビールを頼む。肴は、角煮だ煮卵だ卵焼きだと頼んでしまうと、それだけでお腹一杯になってしまうので、どれか一品に絞る。その晩ボクは
「サッちゃんの卵焼き」
を頼んだ。
宏さんやサッちゃんと話しをしながらゆっくり飲む。
その内にカッちゃんが店に這入ってきてボクの隣りに座ってビールと角煮と煮卵を出してもらって飲み始める。しばらくすると角煮の器をボクの方に寄せて
「少し喰え」
と言ってくれるから、肴にはこと困らない。
酒をもらう。銘柄は「鬼ごろし」だ。コップから受け皿にたっぷりあふれたのをもらってコップの上をズズッとすする。
「旨い」
カッちゃんは声は特別大きいという人ではないがよく喋る。店の人たちもお喋り好きだから、店の中は小宴のようになっていく。ラーメン屋のそれではない。ラーメンだけを食べにきている客がいようがお構いなしにまくし立てる。
そういうときのラーメンだけの客は大きくふたつに分類できて、一方はピヤシリのラーメンの味には勿論ホレこんでいて、なおかつこの店にはボクたちのような客もいるのだと、ニコやかにその酔客たちの馬鹿話しを見守ってくれるタイプ。もう一方は、ラーメンが旨いという評判をきいて来たけれども、何だあの酔っ払い共は、ラーメンは旨かったけれどもうるさくって旨さ半減だ、もう二度と来るか、というタイプ。
そんなようなことだったとボクはおもっている。
ボクは人が酒の肴になるということを
「谷保の文蔵」
という赤提灯でも確信したが、そのことを文蔵より先にボクに教えてくれたのがピヤシリだった。
カッちゃんと頑固爺頑固婆の話しをききながらゲラゲラ笑って、二杯目の酒をもらう。ゆっくり飲んでいるから酔ってはいない。
ここまでの所用時間が一時間であれば、ボクにはかなり良いペースといえる。
サッちゃんの卵焼きがまだ少し残っているから、三杯目の酒をもらう。
カッちゃんはいつのまにか餃子を食べながらレモンサワーを飲んでいる。
「カッちゃんは今日もラーメンは食べずに酒肴だけですか」
とボクが言うと
「食べるよ。あなたと一緒にしないで下さい」
と嬉しそうに言う。
「こういう人好きだなあ」
とつくづくおもう。ラヴではない。ライクだ。
それで三杯目の酒をチビチビ飲みながら
「今日は何味のラーメンを食べていこうかなあ」
と考える。これが楽しい。この楽しみのために四杯目の酒をもらったって良いくらいだ。
醤油、味噌、塩、どの味のラーメンも旨いのは知っている。何しろ世界一だ。だから何味でも良いのだけれど、酒をチビッとやりながら悩む、考える。
そこでボクが宏さんに頼んだのは
「今日は醤油を下さい」
そのラーメン・ドンブリが出てくるまでの四杯目の酒はすでにボクの目の前にある。
「夕やけ」が店を閉めてから憶いだすのは、もっぱらピヤシリでのこういう光景で、夕やけがなくなって改めて、ピヤシリもなくなっていたことに気づかされたような気がしてならない。
先日、ボクたちにとっての「夕やけ」での最後の夜、
「今晩はラーメンと餃子は出せない」
と言っている夕やけの宏さんと京子ママに、同席していた佐藤亮がしつこく無理を言って、醤油ラーメンを作って出してもらった。目をつぶると、ピヤシリの光景が、ふわあぁっと広がってくる味だった。
「やっぱり旨いなあ」
この店を、ラーメンで締めくくることが出来た。
「夕やけ」最後の夜の、佐藤亮のあの厚かましさには、本当に感謝している。
2006年7月15日
ピヤシリ 最終営業日-7
http://www.youtube.com/watch?v=XanHKQIi1RE
「夕やけ」が店を閉めて、そのさびしさを少しずつ感じ始めている。
「夕やけ」というラーメン店が、「ピヤシリ」という名で四谷のライヴハウス・コタンのホントにすぐ傍に店を構えていたときに、ボクたちはその店を
「リアリィ(マジ?)」
というくらいに懇意にしていた。考えてみると「コタン」も「ピヤシリ」も偶然にもアイヌ語であって、コタンは集落という意、ピヤシリは、その店がその味を継承した「朝日食堂」がある北海道上川町にほど近い層雲峡の一角をなすピヤシリ山から命名された「岩でできた固い山」という意味だそうだ。
そのいかにも頑固そうなイメージは、ボクにはピッタリくる。ピヤシリの人たちは皆さん人なつこい当たりのやわらかい人たちばかりだったが、芯は頑固だった。頑固爺と頑固婆の巣窟で、ボクたちはゲラゲラと笑ったり、ときには泣いたりしていた訳だ。
ピヤシリのある地下につながる階段を下りて、カウンターだけの小さな店の席に腰かけて、ビールと角煮と煮卵をもらって始める。コタンでのライヴがなくて、単にピヤシリに来ただけというときのこのときの気持ちは、上手く言い表せないが
「盆と正月が一緒に来た」
くらいのことは言っても大袈裟ではない。もちろんピヤシリはすでになくなっていて、夕やけも閉店してしまったからなおのことそうおもえるのかも知れない。
そして今その店のことを憶いだすと、這入っていった頻度がともかく多かったピヤシリの風景が色々と浮かんでくる。
そうして店の人たちと話しをしていると、知った顔の客が次々と店に這入ってくる。
そういう記憶はピヤシリの風景として色濃く残っている。まさに
「盆と正月が一緒に来た」
という風になる訳である。
コタン関係者以外の客とも多数知り合いが出来た。カッちゃんや梅さんなんかは、ピヤシリに行けばいつでもいるような客だった。この人たちは普段何をしているのだろうとおもったもので、向こうもそうおもったかも知れない。親しくなって話しをきいたらお二人ともとても立派な仕事をしている方なので驚いたが、話すことはともかく痛快な馬鹿話しばかりで、今おもうとよくもまあと感心してしまう。しかし、そういう空間というのはおいそれとあるものではない。サッちゃんに卵焼きを頼む。酒をもらう。同じカウンターには愛すべき酔客がいて、店には頑固爺と頑固婆たちがいる。もうこれ以上何もいらない。
「あいつらはピヤシリに行ってラーメンを頼まないで酒ばかり飲んでいる」
と言われたのはこういうお行儀故で、それは確かにそうなのだが、ラーメンをまったく食べなかった訳ではない。今おもうとあの短い何年間のあいだに、勿論一通りのラーメンは食べているし、その旨さも知っている。でなければその店のラーメンを
「世界一」
などとは言わない。世界一というのはいかにも大袈裟だが
「そのくらいにおもってもらって構わない」
くらいに、ボクは妙に大仰におもって知り合いを何人も引っぱっていったものだ。
酒の席でのボクの姿を知っている人は知っていることだが、ボクはグイグイ飲んですぐに酔っ払ってしまう。しかしそんなボクだって
「今日は上手に飲んでやるぞ」
と心に決めて、ピヤシリで最高に旨い酒と肴とラーメンを味わったことがあるのだ。
まずビールを頼む。肴は、角煮だ煮卵だ卵焼きだと頼んでしまうと、それだけでお腹一杯になってしまうので、どれか一品に絞る。その晩ボクは
「サッちゃんの卵焼き」
を頼んだ。
宏さんやサッちゃんと話しをしながらゆっくり飲む。
その内にカッちゃんが店に這入ってきてボクの隣りに座ってビールと角煮と煮卵を出してもらって飲み始める。しばらくすると角煮の器をボクの方に寄せて
「少し喰え」
と言ってくれるから、肴にはこと困らない。
酒をもらう。銘柄は「鬼ごろし」だ。コップから受け皿にたっぷりあふれたのをもらってコップの上をズズッとすする。
「旨い」
カッちゃんは声は特別大きいという人ではないがよく喋る。店の人たちもお喋り好きだから、店の中は小宴のようになっていく。ラーメン屋のそれではない。ラーメンだけを食べにきている客がいようがお構いなしにまくし立てる。
そういうときのラーメンだけの客は大きくふたつに分類できて、一方はピヤシリのラーメンの味には勿論ホレこんでいて、なおかつこの店にはボクたちのような客もいるのだと、ニコやかにその酔客たちの馬鹿話しを見守ってくれるタイプ。もう一方は、ラーメンが旨いという評判をきいて来たけれども、何だあの酔っ払い共は、ラーメンは旨かったけれどもうるさくって旨さ半減だ、もう二度と来るか、というタイプ。
そんなようなことだったとボクはおもっている。
ボクは人が酒の肴になるということを
「谷保の文蔵」
という赤提灯でも確信したが、そのことを文蔵より先にボクに教えてくれたのがピヤシリだった。
カッちゃんと頑固爺頑固婆の話しをききながらゲラゲラ笑って、二杯目の酒をもらう。ゆっくり飲んでいるから酔ってはいない。
ここまでの所用時間が一時間であれば、ボクにはかなり良いペースといえる。
サッちゃんの卵焼きがまだ少し残っているから、三杯目の酒をもらう。
カッちゃんはいつのまにか餃子を食べながらレモンサワーを飲んでいる。
「カッちゃんは今日もラーメンは食べずに酒肴だけですか」
とボクが言うと
「食べるよ。あなたと一緒にしないで下さい」
と嬉しそうに言う。
「こういう人好きだなあ」
とつくづくおもう。ラヴではない。ライクだ。
それで三杯目の酒をチビチビ飲みながら
「今日は何味のラーメンを食べていこうかなあ」
と考える。これが楽しい。この楽しみのために四杯目の酒をもらったって良いくらいだ。
醤油、味噌、塩、どの味のラーメンも旨いのは知っている。何しろ世界一だ。だから何味でも良いのだけれど、酒をチビッとやりながら悩む、考える。
そこでボクが宏さんに頼んだのは
「今日は醤油を下さい」
そのラーメン・ドンブリが出てくるまでの四杯目の酒はすでにボクの目の前にある。
「夕やけ」が店を閉めてから憶いだすのは、もっぱらピヤシリでのこういう光景で、夕やけがなくなって改めて、ピヤシリもなくなっていたことに気づかされたような気がしてならない。
先日、ボクたちにとっての「夕やけ」での最後の夜、
「今晩はラーメンと餃子は出せない」
と言っている夕やけの宏さんと京子ママに、同席していた佐藤亮がしつこく無理を言って、醤油ラーメンを作って出してもらった。目をつぶると、ピヤシリの光景が、ふわあぁっと広がってくる味だった。
「やっぱり旨いなあ」
この店を、ラーメンで締めくくることが出来た。
「夕やけ」最後の夜の、佐藤亮のあの厚かましさには、本当に感謝している。
2006年7月15日
ピヤシリ 最終営業日-7
http://www.youtube.com/watch?v=XanHKQIi1RE
この記事へのコメント