Walking on the street-507
高校時代にバンド・メンバーだった荒井潔とは、そのバンドが姿形をなくしてからも、どういう訳だかつき合いがたえなくて、例えば大荷物をしょった彼が長野県の何とかという山にこもるというときに、新宿駅で待ち合わせをして千草という酒場で酒を飲んだり、もうとっくに亡くなってしまったが酒好きな彼の爺さんに口をきいてもらって、戦中戦後の酒に不自由した時代の面白い話しをきかせてもらったりした。ボクが春美荘というアパートで使っていたベットは、荒井家からいただいたものである。今から考えるとすべて十代から二十歳代の出来事で
「へええ」
とかおもいながら過ごしていたが、ずいぶんもったいない時間もたくさんやり過ごしていたようにおもう。
荒井潔もボクも、三十代になったころには子どもを授かっていた。それでそのころ、夏になると彼の好意で、毎年山中湖のコテージにボクの家族を招待してくれた。彼がどういう案配でそのコテージを手配出来たのか知らないが、ボクはそこに出かけていく度にギターを持っていって、まだ幼かったボクと彼の子どもたちの前で歌を歌った。荒井も、昔とった杵柄よろしく、ギターは必ず持参してきたから
「よおお、そのフレーズはこうだろうがあ」
「お前の方こそ忘れたのか。ここはこうだろうがあ」
などとたわむれていた。
そこにはボクの娘も息子もいて、彼らの二人の息子もいた。
その山中湖湖畔のコテージの前には、慶応大学のラグビー部が合宿を行うだだっ広いグラウンドがあって、そこでよく子どもたちと野球をした。それがのちにボクの息子が本式に野球をやるきっかけになったのかも知れないし、もうひとつ面白いのは、ボクや荒井潔が高校時代夢中になった
「二郎ラーメン」
という店が、三田にある慶応大学のそばにあったということで、どうでも良いことだけれども、ボクも荒井もそのことを面白がっていた。
そんな具合に荒井家とつき合っていたころ、彼の息子ユウスケはまだ中一で、下の息子コウスケも少五だった。印象に残っているのはその山中湖の湖畔のコテージで、今のところ最後になってしまっているけれども、そのコテージ前のグラウンドで、ボクの息子と野球をやっていたそのユウスケが、ゲームセットの瞬間に涙を流してグラウンドに打ち伏せてしまった。
「どうしたんだい」
ときいたらユウスケは
「もう帰っちゃうんだろ、桜井さんちは」
と言う。
だから仕方なく
「ああ。だけど、これで会えないって訳じゃないんだよ。きみも一生懸命生きていれば、おじさんも一生懸命生きていればだけど、また会える」
と言ったけれども、そのときの彼の気持ちは凄くよくわかったので、こちらまで涙が出そうだった。
それからボクの方の不義理が始まり、荒井家との疎遠が重なった。
だからユウスケもコウスケも、ボクのことなど忘れてしまっているだろうなあというときに、荒井一家に出向く機会が出来た。
「こんちは」
ボクが玄関を入る。
ユウスケらしいお兄さんと、コウスケらしいお兄さんがいるが、こっちは黙っている。その間数年の月日が流れている。
「きみたちのお父さんの古い友だちでね、桜井っていうんだ。決して怪しい者ではないよ」
と言ったらユウスケが
「あの、ギターの人ですか」
と言うから
「何言ってやがるんだこの野郎」
とおもいながら
「いやだからね、ボクはきみたちのお父さんの知り合いでね」
なんて言っていたらおもいだした。ボクは彼らの前でイヤッていう程ギターをかき鳴らしていたおじさんなのである。
「ユウスケか、大きくなったな。コウスケはどうしたんだ。ああ、こっちか。町で会ったら分からないぜ。もう酒は飲むのか。そうか飲むのか」
なんてことになった。育ち盛りの彼らと酒場に行ったなら、勘定がどうなるか知れたことではない。
昨年の三月に、ボクのバンドが四谷のライヴ・ハウスでワンマンライヴをやった晩に、荒井潔とその息子のコウスケが来てくれた。生意気にもワインをたんまり飲んで、赤い顔をしている。
そうしてボクのところに来るなり
「ギターのおじさん、おじさんはどうやって暮らしているのですか」
とぬかしやがった。
ボクが羨ましいのはこの演奏シーンでね、
ポール・マッカートニーが、ダニュエル・ハリスンに目配せするんだけどさ。
その感じが、実に良い訳だ。こんな風に
「こいつは俺が育てたんだ」
ではないけれども、
然としていたいものである。
ポールはリンゴやクラプトンと一緒に、ジョージが書いた、ビートルズではボツにされた曲を歌っている。そのポールのうしろでギターを弾いているのがジョージの息子のダニーだ。
ポール・マッカートニー
「オール・シングス・マスト・パス」
http://www.youtube.com/watch?v=g-ATb5FNci8&feature=related
「へええ」
とかおもいながら過ごしていたが、ずいぶんもったいない時間もたくさんやり過ごしていたようにおもう。
荒井潔もボクも、三十代になったころには子どもを授かっていた。それでそのころ、夏になると彼の好意で、毎年山中湖のコテージにボクの家族を招待してくれた。彼がどういう案配でそのコテージを手配出来たのか知らないが、ボクはそこに出かけていく度にギターを持っていって、まだ幼かったボクと彼の子どもたちの前で歌を歌った。荒井も、昔とった杵柄よろしく、ギターは必ず持参してきたから
「よおお、そのフレーズはこうだろうがあ」
「お前の方こそ忘れたのか。ここはこうだろうがあ」
などとたわむれていた。
そこにはボクの娘も息子もいて、彼らの二人の息子もいた。
その山中湖湖畔のコテージの前には、慶応大学のラグビー部が合宿を行うだだっ広いグラウンドがあって、そこでよく子どもたちと野球をした。それがのちにボクの息子が本式に野球をやるきっかけになったのかも知れないし、もうひとつ面白いのは、ボクや荒井潔が高校時代夢中になった
「二郎ラーメン」
という店が、三田にある慶応大学のそばにあったということで、どうでも良いことだけれども、ボクも荒井もそのことを面白がっていた。
そんな具合に荒井家とつき合っていたころ、彼の息子ユウスケはまだ中一で、下の息子コウスケも少五だった。印象に残っているのはその山中湖の湖畔のコテージで、今のところ最後になってしまっているけれども、そのコテージ前のグラウンドで、ボクの息子と野球をやっていたそのユウスケが、ゲームセットの瞬間に涙を流してグラウンドに打ち伏せてしまった。
「どうしたんだい」
ときいたらユウスケは
「もう帰っちゃうんだろ、桜井さんちは」
と言う。
だから仕方なく
「ああ。だけど、これで会えないって訳じゃないんだよ。きみも一生懸命生きていれば、おじさんも一生懸命生きていればだけど、また会える」
と言ったけれども、そのときの彼の気持ちは凄くよくわかったので、こちらまで涙が出そうだった。
それからボクの方の不義理が始まり、荒井家との疎遠が重なった。
だからユウスケもコウスケも、ボクのことなど忘れてしまっているだろうなあというときに、荒井一家に出向く機会が出来た。
「こんちは」
ボクが玄関を入る。
ユウスケらしいお兄さんと、コウスケらしいお兄さんがいるが、こっちは黙っている。その間数年の月日が流れている。
「きみたちのお父さんの古い友だちでね、桜井っていうんだ。決して怪しい者ではないよ」
と言ったらユウスケが
「あの、ギターの人ですか」
と言うから
「何言ってやがるんだこの野郎」
とおもいながら
「いやだからね、ボクはきみたちのお父さんの知り合いでね」
なんて言っていたらおもいだした。ボクは彼らの前でイヤッていう程ギターをかき鳴らしていたおじさんなのである。
「ユウスケか、大きくなったな。コウスケはどうしたんだ。ああ、こっちか。町で会ったら分からないぜ。もう酒は飲むのか。そうか飲むのか」
なんてことになった。育ち盛りの彼らと酒場に行ったなら、勘定がどうなるか知れたことではない。
昨年の三月に、ボクのバンドが四谷のライヴ・ハウスでワンマンライヴをやった晩に、荒井潔とその息子のコウスケが来てくれた。生意気にもワインをたんまり飲んで、赤い顔をしている。
そうしてボクのところに来るなり
「ギターのおじさん、おじさんはどうやって暮らしているのですか」
とぬかしやがった。
ボクが羨ましいのはこの演奏シーンでね、
ポール・マッカートニーが、ダニュエル・ハリスンに目配せするんだけどさ。
その感じが、実に良い訳だ。こんな風に
「こいつは俺が育てたんだ」
ではないけれども、
然としていたいものである。
ポールはリンゴやクラプトンと一緒に、ジョージが書いた、ビートルズではボツにされた曲を歌っている。そのポールのうしろでギターを弾いているのがジョージの息子のダニーだ。
ポール・マッカートニー
「オール・シングス・マスト・パス」
http://www.youtube.com/watch?v=g-ATb5FNci8&feature=related
この記事へのコメント
マスト・パス
何者だ。
ちゃんと調べるなり校正するなりするべきです。
文章を書く人間として恥ずかしくないようにして下さい!
きみは何者だ。
たぶん
「ビートルマニアです」
と言うのだろうな。
赤胴鈴之助だ!
ボクはそういうの好きだ。