Walking on the street-164

東京に行く、という話しである。

ボクは普段、国立の谷保で暮らしているので、都心に出ることは四谷コタンでライヴのときか、青山のYさんのオフィスに仕事で出かけるときくらいである。だから日頃、たやすく杯を重ねることの出来ない人物から
「出てこないか」
と誘われたときには出来るだけ誘いにのることにしている。そうでもしないとそういう機会は持てないし、そういう機会というのはそれくらい大事なモノだと考えているところがある。
だからボクが東京に行く、という際には酒席に参加するため、という場合が多いということになる。

そうして出かけていく都内某所の飲食店で、酒になる。少人数だと込み入った話しも出来て有意義な時間がすごせるが、大人数だと大抵馬鹿騒ぎになる。しかしだからといって無駄な時間をすごしているのではない。それはそれで非常に有意義なときなのだ。何しろ普通の暮らしの中で、そんな馬鹿騒ぎが出来る機会なんて、持っている人は余程の人だろう。

ボクは比較的酒の席にいることが多い方かも知れないが、馬鹿騒ぎ、ということになるとそういう場所に身を置く機会は、年に数回といったところか。だから案外馬鹿騒ぎという空間は貴重なものだといえる。

さてその馬鹿騒ぎであるが、馬鹿騒ぎという現象が起こるために、いくつかの条件があげられる。

まずそこで同席している人たちが、面識のある人物に限られている必要はない。酒と会話を楽しもうとおもっていれば良い。

次に、一人か二人、声のデカイ人物がいることが好ましい。その人は地声からしてデカイのだから、酔うほどにその声はさらにデカクなる。そうするとそれまで静かに飲んでいた人たちも、その人物の声のおかげで会話がききとり難くなるので、自然と大声で話し始める。その状態が、馬鹿騒ぎになる基礎になる。

次に、誰でもいいから普段のその人物からは想像もつかない行動、または発言が飛び出すのを待つ。大人数いればそういう人物がいる可能性は極めて高く、期待通りそういう酔っ払いは現れてくれる。そうすると
「お前はそんな奴だったのかあ」
ということになって、他の人たちのハメが次々にはずれていってアッというまに馬鹿騒ぎへと登りつめていく。

馬鹿騒ぎは、そこで飲んでいる人たちにとっては例えようがないほど楽しいモノだが、難点として、大したことを話している訳ではない、ということと、翌日、何を話していたのか記憶にない、ということが起こりやすい。しかし、そういうことを覚悟していなければ馬鹿騒ぎは起こらないし、また、余計な覚悟などしない方が、馬鹿騒ぎは楽しめる。


ここまで書いてきて、おもう。

普段たやすく杯を重ねられない人物からの誘いに、ボクは出来るだけのることにしている。そのとき、ボクはどこかでこの手の馬鹿騒ぎを期待しているのかも知れないことに今、気がついた。
とすると、ボクが東京に行く、という際には心のどこかで
「今日も馬鹿騒ぎになったらいいな」
とおもっているということで、それが良いのか悪いのか、判断がつかずにいる。

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