ライヴハウス四谷コタンとの格闘-59

コタンでライヴを始めて十九年過つ。コタンのオーディションを受けたときにはもうバンドはなかったから、ボクはそれから一人でライヴを続けてきたことになるが、一人では続けてこられなかったであろうことに最近気がついた。

コタンの木村さんからブログをやれとすすめられたのは2004年、去年の秋のことである。
「発信基地は必要だ。やってみろ」
それから何ヶ月もかかって、ボクがブログに文字を打ち込めるようになったのは今年になってからである。ボクは書き始めた。

荒井潔は、ときたま憶い出したようにコタンのボクのライヴにやって来てくれる。そんな夜は大抵ボクたちは飲み過ぎてしまって、翌日はエライ目にあう。こういうところは昔から変わらない。荒井がいくらボクより優等生であろうと、酒を挟んだ本質的なところはあまり変わらないようだ。
P太郎は近頃コタンには来てくれないが、二十代の頃にはたまに来てくれた。今は色々忙しいのだろう。彼とは連絡がつけられる。
池田とは二十歳以来会うことが出来ない。奴は高校時代に汗水たらして稼いだ金で買ったフェンダーのジャズ・マスターをボクに手渡してどこかへ行ってしまった。だから池田はコタンでのボクのライヴを見ていない。その代わり奴のギターはボクの家でボクに睨みをきかせている。そういえば、ゆーさくバンド時代に荒井潔が愛用していたヤマハのSA-700も、今ボクの家で池田のギターの隣りにいるから、ボクのベースも含めて、ゆーさくバンドの弦楽器はすべてボクのところにあることになる。P太郎のドラムは、どんな理由があろうともボクの家には置けない。
ボクが二十年前から今に至るまで弾いているアコスティック・ギターはボクが購入したモノではない。その当時つき合いのあった人たちからいただいたモノである。

ボクはそういうことを忘れていた訳ではない。ただ木村さんからすすめられたブログを始めて、たくさんのことをおもい起こすことが出来た。ボクは一人でライヴを続けてきた気になっていたかも知れない。しかしながら、そうではないのだ。

マンネリのライヴをお客様に見せた夜もあった。どうせボクが悪いのだろうと居直った夜もあった。ヤケクソになって、四谷駅のホームから線路に飛び込んだこともあった。ボクは馬鹿者である。ボクのライヴにはいつもたくさんの人たちがいてくれているのだ。そのことにおもいが至らなかったボクはやはり大馬鹿者である。

今までのコタンのライヴを大事におもわなかったということはない。ただこれからのコタンのライヴを大事にしたいとおもう。


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